診察室よもやま話 第6回 飯田泰啓(相楽)  PDF

ケアプラン

 長年、高血圧で通院されておられたSさんの物忘れが強くなったのは二年前からである。しばらくは息子さんと一緒に来院されていた。しかし次第に通院が困難になり、息子さんから様子を伺うことが多くなっていた。
 「最近、お母さんは来られませんが、どうなさっていますか」
 「ほとんどベッドで寝てばかりです。それと、夜中に誰かが来ていると騒ぐので困っています」
 「お風呂はどうされていますか」
 「デイサービスやショートステイで入れてもらえるので、助かっています」
 外来に通院されていた頃も、やっと会話が成り立つくらいであったが、この半年で認知症が進み、家族ともコミュニケーションが取れていない様子である。
 「今日、ショートステイから帰ってきたのです」
 「来院できないようなら、往診しましょうか」
 「ええ、お願いします。でも、明日からまたショートステイなのです」
 「いつ、戻られるのですか」
 「今度は、一週間の予定だそうです。その後は、毎日デイサービスに行くそうです」
 毎日、何かの介護サービスがケアプランに組み入れられていて、往診に割り当てる時間を見つけることができない。
 それからしばらくしたある日の深夜に、息子さんから電話があった。
 「今から往診してほしいのですが」
 「どうされたのですか。呼吸でもおかしいのですか」
 「夕方、ショートステイから帰ってきたら、床ずれができているのです」
 「いつから褥瘡ができているのですか」
 「いつからと言っても、今日、背中を見てびっくりしたのです」
 「エアマットなどの褥瘡予防用具は使っていたのでしょう」
 「いいえ」
 「でも、長い間寝たきりだったのでしょう」
 「そうです。動けなくなってから半年くらいになりますね」
 「では、明日の午後でもお伺いします」
 「明日は、午前中からショートステイで出かけるのです」
 夜も遅いので、明日ショートステイ先で診てもらうことにした。
 それから一カ月ほどして、ケアマネジャーが往診してくれと言ってきた。その時には褥瘡はすでに大きく、皮膚欠損は五センチで皮下のポケットも広がっていた。とても、往診で対応できるものではない。無理をお願いして地元の病院に入院させてもらった。入院中は外科の先生に、随分とご苦労をお掛けした。半年近くかかって褥瘡がやっと軽快して退院することができた。
 退院後は、再びこのようなことがないように、私も参加できる時間帯にケアカンファレンスを開いてもらった。
 そして、Sさんの身体面に十分な配慮をしたケアプランを立てるようにケアマネジャーに申し入れた。もちろんエアマットも含めて在宅ケアのできる体制を整えて、入院前のように安易にデイサービスやショートステイに頼らないケアプランを作成するようにお願いした。
 その後は、在宅診療と訪問看護で定期的なケアをすることで、褥瘡の発生もなく、シャワー浴ができるまでに回復してきた。
 最初から医療の関与できるケアプランであれば、褥瘡で半年近くも入院することにはならなかったと思えてならない。その間にSさんの認知症が進行し、身体面でも衰えが進んだだけに残念である。入院前のケアプランは家族の介護負担を減らすことだけを目的に作成されていた。
 ケアマネジャーは、マネーマネジャーであると聞いたことがある。要介護度ごとの限度額内にサービスを押さえることだけが、ケアマネジャーの仕事になっている面もある。この制度になってから書類がやたらと多くなり、ケアマネジャーが利用者の医療面まで考える余裕がなくなっている気がするのは穿ち過ぎであろうか。

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