戦争と医の倫理の検証求め続け 今年は愛知でシンポジウム  PDF

 「戦争と医の倫理」の検証を進める会(事務局・保団連)が「戦争・医療・倫理―731部隊とナチスの障害者虐殺から考える―」をメインテーマに4月29日、名古屋でシンポジウムを開催した。出席者は197人だった。長年、日本医学会総会のテーマに「戦争と医の倫理」の検証を取り上げてほしいと申し入れているが、実現していない。

優生思想の根源直視を=藤井氏

 冒頭、「ナチス・T4作戦の跡地を訪ねて」と題して、日本障害者協議会代表、きょうされん専務理事の藤井克徳氏が基調講演を行った。
 講演では、ナチスドイツ時代にピークに達した優生思想、純血政策の標的となった障害者の大量虐殺「T4作戦」と、この作戦の先行となった遺伝性疾患子孫防止法(断種法)について解説。第二次世界大戦開戦日から開始されたT4作戦は、「価値なき者」=戦えない者、働けない者=知的障害者、精神疾患患者を選別し対象者をガス室に送るもので、犠牲者数はドイツ国内で20万人以上、支配下の国々を合わせると少なくとも30万人以上となったことを報告。この作戦では医師が自主的に関与しており、対象者の選別が一般の医師を通して行われたと述べた。
 また、対象者が施設に送られた際の問診も医師が携わっていて、問診医全員が「死」と判断すればガス室へ送られたことを解説した。1948年にT4作戦は中止されたが、虐殺そのものがなくなったわけではなく、虐殺が「野生化」したと評されている。また、T4作戦はユダヤ人大虐殺のリハーサルとも言われており、10年11月にドイツ精神医学・精神療法・神経学会において、この問題の総括と謝罪が行われ、14年9月にはT4作戦関連の追悼碑が建立されたと述べた。
 ドイツではこの作戦に先行して、1933年に遺伝性疾患子孫防止法が制定されており、戦争とは無関係に推進された。世界初の断種法は1907年、米国インディアナ州。また、スウェーデンの断種法は、ドイツと双璧と言われており、福祉国家を維持するためという目的で、こちらも戦争と関係なく進められたと指摘した。日本では、83年、厚生省の新設と同時に「予防局優生課」を設置。40年に国民優生法を施行し、48年からは優生保護法となって、ごく最近の96年まで法制化されていた。この優生保護法はドイツの断種法が基礎だと述べた。
 藤井氏は、日本では現代においても「津久井やまゆり園」事件をはじめ、相次いで発覚した障害者の座敷牢状態の問題などが引きも切らず起こっている。こうした問題に通底するのは、根深い「障害者排除」「障害者差別」。我々一人ひとりに問われているのは、史実の直視、本質の深化、問題の共有化であり社会化、そして連携だとした。

人権・平和守る取組みは忘却とのたたかい=香山氏

 続いてパネルディスカッションが行われ、藤井氏に加え、ジャーナリストの近藤昭二氏、愛知大学文学部教授で社会学者、NPO沖縄戦記録・継承の会「うむい」理事でもある樫村愛子氏が意見交換を行った。近藤氏は731部隊の概要を、樫村氏は戦争時の社会構造といかにそうした構造を防ぐかについて報告した。
 最後に進行役を務めた香山リカ氏が、人権や平和を守るたたかいは忘却とのたたかいだとし、この問題を広く共有し無自覚、無感覚、思考停止に陥らないよう、また想像力の欠如とならないよう努めたいとした。また昨今、軍学共同研究の道が開けたことに警鐘を鳴らし、注視していきたいとまとめた。

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