和歌山ヒ素カレー事件で用いられた分析機器の SPring 8 とは何か?
前回、歯のエナメル質中の重金属の分布の均質性を知るためにSPring 8という加速器を用いることを述べた。もし生前の曝露であれば、エナメル質に均質に分布し、その分布は長期に変わらない。しかし、サンプルの処理時にコンタミ汚染が起こると分布は不均一となる。SPring 8という機器の原理は、簡単に言うと高エネルギーの放射光を、金属に照射すると、K殻の電子が弾き飛ばされ、L殻の電子が空白のK殻に落ち込む。その折に物質に特有な蛍光X線を出す。その蛍光X線を検出することができれば、試料に含まれる重金属が同定され、定量的な評価ができる。
問題は、解像度である。解像度を数十ミクロン程度にするためには、強い放射線を非常に小さな光束にまとめる必要がある。そのためには、非常に高い放射光エネルギーが必要となり、巨大な加速器が必要となる。我々は、歯のエナメル質中の重金属分布が、均質であることを確認するために、数ミクロンの格子の解像度で分布を観察した。エナメル質中では、測定したPb、Hg、Zn、Cuで一様性を確認した(図1)。測定には、兵庫県佐用郡佐用町光都にあるSPring 8を用いた。姫路近くにあり、施設の周囲が数キロにわたる巨大な装置である。均質性の確認後、エナメル質を削り、通常のICPマスを用いて分析した。2002年のことである。
このように、SPring 8は、空間解像度に優れている。なぜ、SPring 8は、和歌山ヒ素カレー事件で用いられたのであろうか? 和歌山毒カレー事件ではシロアリ駆除のヒ素が用いられたと考えられている。そのヒ素は、粉体であり、粒子である。このヒ素は不純物を含み、その組成はヒ素の採取された鉱山に特有の組成を示し、鉱山のフィンガープリントと考えることができる。詳細は不明だが、容疑者の自宅とカレー中からヒ素を採取し、SPring 8で分析したと報道されている。その結果、両者のフィンガープリントが一致したため、容疑者が自宅から持ち出したヒ素をカレーに入れた蓋然性が高いとの結論が出された。
我々も、SPring 8 を用いて、福島第一原発から飛散した高濃度セシウムの解析を考え環境省の研究課題に応募した。すなわち、2011年3月12日から15日にかけて爆発した福島第一原発由来のセシウムと、13年8月に再飛散したセシウム粒子は異なるフィンガープリントを持ち、原子炉周辺の飛散源の粒子とは同一のフィンガープリントを持つと考えられるため、その解析を提案した。残念ながらこの提案は採択されなかったが、その後福島原発事故の粒子のSPring 8での解析が他の研究者で実際行われ、爆発当時の原子炉の融解状態を知るためのフィンガープリントとして用いられている。
SPring 8を用いた歯の分析の経験は、福島第一原発のサンプル解析のイメージ作りに大いに役立った。環境保健では、どのような測定技術をどのように用いるかは、ひらめきの問題であり、研究者の独創性が発揮される。
図1 歯のエナメル質中のCaおよびZnの切片上の分布:SPring 8 による分析
Transverse section
Distribution of Ca
Distribution of Zn
Koizumi et al Env Health Preve Med(2009)