平和は作りだすもの
八田 一郎(左京)
2004年に井上ひさし、梅原猛、大江健三郎各氏をはじめ9人が九条の会を結成し、憲法9条を守るよう全国にアピールしました。左京区修学院にも九条の会を立ち上げることになり、私にも発起人に加わってほしいと依頼がありました。私は即答を避け、まず広島の平和公園を訪れることにしました。
原爆ドームの前に立ったとき胸がこみ上げてきました。平和記念資料館で「熱線」と「爆風」と「放射線」による惨状の展示に圧倒されて、慰霊碑の前に立ちました。そこには「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」と刻まれていました。私はその時、修学院九条の会の発起人に加わろうと心に決めました。
帰って、早速日本国憲法を読み返しました。小学5年生の時に日本国憲法が発布されて、学校で学んだ時以来、憲法は読んでいませんでした。日本国憲法の前文には世界に誇るべき文章で世界平和が高らかに宣言されています。この憲法が、戦勝国アメリカから押しつけられたものだから自主的な憲法に変えようという提案があります。第二次世界大戦で敗戦国だけでなく戦勝国にも大きな被害があり、世界中が戦争の悲惨さを体験しました。そして、世界中が平和の大切さを身にしみて感じて生まれたのが、日本国憲法だと私は思っています。
また、今の憲法は時代に合わないという意見があります。私は逆だと思います。自分たちが平和を守る努力をしてこなかったから理想的な憲法からずれてきてしまったのです。理想論だと言われますが、理想を持たない生き方は間違いです。平和は与えられるものではありません。みんなで作りだすものです。武力では絶対に平和は守れません。せっかく日本が平和を守る国として世界に認められているのに、憲法を改正して戦争する国にしては、戦争で犠牲になった多くの先人達に申し開きができません。日本は武力ではなくて平和の使者として国際的にもっと活躍すべきです。
私が終戦を迎えたのは国民学校2年生の時です。戦争中は世の中が暗くて窮屈で、ただ耐えることが強要されていたことを子ども心にも思っていました。戦争が終わって食べるものはありませんでしたが、世の中が明るくなりました。平和の大切さを感じました。