医師の生命と健康、患者への医療を守る改革の起点を考える
医師の働き方改革が、医療界の焦点になっている。厚生労働省は2017 年8月2日、医師の働き方改革に関する検討会(座長・岩村正彦東京大学大学院法学政治学研究科教授)を立ち上げ、既に9回の会合を開催。第6回会合(1月15 日)で「中間的な論点整理」をまとめ、2019 年3月中までの最終とりまとめへ検討を進めている。
医師の働き方改革が焦点となったのは、安倍政権が「ニッポン一億総活躍プラン」(2018 年6月2日・閣議決定)に基づき「働き方改革関連法」を国会提出したことに端を発する。
それに先立つ2016 年9月、安倍政権は「働き方改革実現会議」を設置、同会議による「働き方改革実行計画」を翌年3月28 日に決定。これを基に厚生労働省が「働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律案要綱」を作成、同省労働政策審議会がこれを了承し、2018 年4月に通常国会へ法案として提出された。
法案は労働基準法、労働安全衛生法、じん肺法、労働時間等の設定の改善に関する特別措置法、短期間労働者の雇用管理の改善等に関する法律、労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律、労働契約法、雇用対策法が含まれる〈一括法案〉であった。
同法案は審議入りした途端、「裁量労働制の適用拡大」に関する実態調査のデータ不備が発覚。結果、裁量労働制にかかる部分を除外した上で、6月29日に可決・成立した。
国会成立した働き方改革関連法の概要
働き方改革について、医療に携わる私たちは課題を「勤務医の長時間労働の解消」に限定して捉えがちである。だが働き方改革は日本の労働政策の大変革である。医療関係者にとっても無視できない内容を含んでいる。
そのため、本稿前半では働き方改革自体のねらいを検討しておきたい。
安倍政権が働き方改革を打ち出す契機となったのは、広告代理店大手の電通で発生した新入社員の過労自殺事件だとされる。
時間外労働が1カ月に約105 時間という殺人的な働かされ方をした24 歳の女性が自ら生命を絶った事件である。報道では、安倍首相は2017 年2月に女性の遺族と面会、残業規制を決意したとされる。
だが安倍政権の働き方改革は本当に過労死をなくすためのものなのだろうか。
確かに成立した関連法は、「長時間労働の是正」を謳い、時間外労働に上限を設ける(月45 時間・年360 時間限度。ただし、特別な事情がある場合は年720 時間、単月100 時間未満)ことや、月60 時間を超える時間外労働に係る割増賃金率(50%以上)についての中小企業猶予措置の廃止等、長時間労働の是正につながる前向きな改定内容が含まれている。
だが一方で法案には「多様で柔軟な働き方の実現」として、折角の残業規制を無意味化する規制緩和策も盛り込まれた。裁量労働制の適用拡大と高度プロフェッショナル制度である。
時間外労働への上限規制は、労働者保護のための新たな規制導入であり、積極的評価が可能である。だが、〈特別な事情の場合〉の単月上限100 時間未満は、過労死ライン(健康障害のリスクが高まるとされる時間外労働時間)とされる月80 時間を遥かに超えており、過労死ライン超の時間外労働を合法化するものだとの指摘がある。
国・財界の用いる「多様で柔軟な働き方」とは「多様で柔軟な働かせ方」に他ならず、国にとって働き方改革法案の本当の立法意図は、後段の裁量労働制と高度プロフェッショナル制度の導入にある。
当初法案で、対象拡大が目指された裁量労働制は、実労働時間が何時間であっても一定の労働時間と見做す制度である。1日の労働時間を仮に8時間と見做せば、実労働時間が6時間であっても、12 時間であっても8時間労働だったと見做すのである。国会提出時点の法案には、適用職種の限定された同制度の対象労働者を一気に拡大する内容が盛り込まれていた。だが厚労省の杜撰なデータが問題になり、撤回に追い込まれた。
成立した法に残ったのは、高度プロフェッショナル制度(通称・高プロ)である。「高プロ」は特定高度専門業務・成果型労働制と名付けられ、「職務の範囲が明確で一定の年収(少なくとも1000万円以上)を有する労働者が、高度の専門的知識を必要とす等の業務に従事する場合に、当該の労働者を年間104 日の休日を確実に取得させること等の健康確保措置を講じること、本人の同意や委員会の決議等を要件に、労働時間・休日・深夜の割増賃金等の規定の適用除外とする※1ものである。つまり労働者保護規定の適用されな労働者を生み出す。
過労死被害者のご遺族は、この提案が過労死防止に逆行すると怒りを表明した。
だが、同法案は採決強行された。参院本会議での成立直後、過労自殺に追い込まれた被害者の母は、遺影に語りかけたという※2…「これがあなたを追い詰めた日本の姿だよ」。
労働政策と労働契約
日本国憲法第27 条1項は、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」とある。
第2項には「賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関するは法律でこれを定める」とある。にまつわる契約は、雇用者と被雇用者の個人的意思のみに委ねられるわけではない。国家がその基準を定めると憲法が規定しているのである。したがって、労働契約の有効・無効の線引きは国家政策が関与し、なされることになる。そのため、労働政策は時の為政者による国づくりの方向性と合致するものとなる。
憲法にある「勤労条件にまつわる基準」を定め法規が「労働基準法」である。
同法第1条は「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない」とされ、同条第2項に「この法律で定める労働条件の基準は最低のものであるから、労働関係の当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもとより、その向上を図るように努めなければならない」とある。
戦後日本の労働政策の経緯
戦後、為政者が国を治めるにあたり採用した労働政策は、後の経済成長や国家の治安維持にとって決定的な意味を持った。
為政者その背景にある大企業群は労働運動を抑え込み、利潤確保し、支配を貫徹するための妥協策として、企業内福祉を形成し、昇進制度をつくり、年功序列・終身雇用システムをつくりあげた。結果、日本は福祉国家にはならず、「日本型雇用」により「企業の傘」の下に入れた国民に限っては、企業が国による社会保障・福祉を代替したのである。
だが1990 年代に入り、グローバル化する大企業群・財界は為政者に対し、構造改革=新自由主義改革を迫るようになった。
世界を舞台に利潤拡張を目指すことになった多国籍企業群は、自ら形成してきた日本型雇用を足枷と感じ、頻々と労働法制の規制緩和を要望するようになった。その意図するところを最も率直に表したものが、1995 年、日経連(現在の経団連の前身)発表の『新時代の日本的経営』である。本報告書は日本型雇用範囲を縮小し、非正規労働者を含めた労働者の類型化・差別化を提言している。
その類型は以下のようなものである(表1)。
①雇用柔軟型
ホワイトカラーの一般職や通常の技能職、販売職等をアルバイト、パート、派遣労働に置き換え、長期雇用・年功序列処遇から除外する
②長期蓄積能力活用型
①、③の対象となる雇用労働者以外に対しては、従来の日本型雇用を範囲は縮小しつつも残存させ、一方で能力主義的な激しい競争を強いる。
③高度専門能力活用型
企業の抱える課題について専門的熟練・能力をもって応える労働者だが、長期雇用を前提としていない。
長期蓄積能力活用型 グループ |
高度専門能力活用型 グループ |
雇用柔軟型 グループ |
|
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雇用形態 | 期間の定め無し | 有期雇用契約 | 有期雇用契約 |
対象 | 管理職・総合職・技術部門の基幹職 | 専門部門 (企画、営業、研究開発等) |
一般職 技能部門 販売部門 |
賃金 | 月給制か年俸制 職能給 昇給制度 |
年俸制 業績給 昇給無し |
時間給制 職務給 昇給無し |
賞与 | 定率+業績スライド | 成果配分 | 定率 |
退職金 年金 |
ポイント制 | なし | なし |
昇進 昇給 |
役職昇進 職能資格昇進 |
業績評価 | 上位職務への転換 |
福祉施策 | 生涯総合施策 | 生活援護施策 | 生活援護施策 |
能力主義(や成果主義)導入は年功序列型賃金を否定した。ベテランであっても成果をあげられない労働者がリストラ対象となる現実の到来は終身雇用の否定であった。
多国籍企業同士のグローバルな利潤拡大競争が本格化すると、人件費の安い東アジア諸国との競争や、生産拠点の移管等に伴う国内労働者の賃金水準の引き下げが起こった。これに伴って正規雇用を低処遇の非正規雇用に置き換えること、あるいは国内労働者の賃金を抑制する流れが強まった。
1997 年、女性労働者の保護規定を撤廃(深夜労働の解禁等)、職業紹介を自由化、労働者派遣法も規制緩和がなされた。国家の労働政策が恣意的に歪められたのである。この手法は、現政権の政治手法に丸ごと受け継がれた。
2006 年、第一次安倍政権下で息を吹き返した経済財政諮問会議の席上、「民間有識者」たちは「労働ビッグバン」を合言葉に、「複線型でフェアな働き方に」と銘打って労働者派遣法の規制緩和に拠る本格活用、時間に縛られない働き方等を提起した。派遣労働という権利の制限された労働者の発生を「多様な働き方」等と言い換えて本質を隠す手法がここで用いられた。
2016 年、安倍政権は「ニッポン一億総活躍プラン」を閣議決定。これは国民総動員で多国籍業の支配と利潤を支えるための社会保障と労働政策の見直しを提起したものである。
2017 年、その理念に基づく働き方改革実行計画を閣議決定し、18 年4月、法案化して国会提出。ここに至って、労働者保護政策を進めることによる安定的支配という路線との訣別が宣言されたものと考えられる。
医師の働き方改革を考えるための4 つの確認事項
以上のように、労働者の生命・健康を軽視し、人権を抑圧する方向での労働政策の転換が働き方改革の内実である。こうした転換の中で、医師の働き方改革の検討も始まったのである。
厚生労働省の検討会は2017 年8月2日、第1回会合が開催された。開催要綱は検討会設置の目的を次のように書いている。「働き方改革によって、長時間労働是正のために労働基準法を改正し、36 協定を締結すれば上限無く時間外労働が可能である現状を見直し、上限を設定する。ただし、医師も時間外労働規制の対象とするものの医師法に基づく応召義務等の特殊性を踏まえた対応が必要であり、改正法の施行期日の5年後を目途に規制を適用する。それに向け、医療界の参加の下で検討の場を設け、2年後を目途に規制の具体的な在り方、労働時間の短縮策等について検討し、結論を得る」。
私たちの検討のため、確認しておきたい4つの前提がある。
第一に、働き方改革の対象となっているのは勤務医である。開業医は労働法制上、雇用者であり、議論対象ではなない。国の議論に開業医の過酷な仕事の状況は反映されていない。
しかしながら、厚生労働省の平成29 年版過労死等防止対策白書は、「我が国における、過労死等の全体像を明らかにするためには、雇用労働者のみならず法人役員・自営業者についても、過重労働の実態やその背景を明らかにする必要がある」として、医療・福祉関係も含めた法人役員や自営業者についてもアンケート調査を実施し、「法人役員、自営業者の方々も、健康に働き続けるには、一般の労働者と同様に、日頃から労働時間を適正に把握し、長時間労働を抑制していくことが課題」と述べている。かように本来、厚生労働省は「開業医」も含めた医師の働き方を検証すべきであることをここでは指摘しておく。
第二に、勤務医は被雇用者であり、その意味で労働基準法の適用対象となる労働者である。
一部には勤務医の労働者性を認めない言説があるが、勤務医の労働者性の否定とは、勤務医の人権制限を当然視することを意味する。繰り返し強調するが、日本国憲法は勤労の権利と義務を規定し、「労働基準法」を通じて国家が「勤労条件にまつわる基準」を定め、その第1条に「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たす」とある。勤務医にも人たるに値する生活を営む権利があることは言うまでもない。
第三に、勤務医の労働条件改善を求める大きな流れは当然であり、これを絶対に否定してはならない。
2004 年からの卒後研修必須化にあたり医学生らの声が国会を動かし、「臨床研修を効果的に進めるために指導体制の充実、研修医の身分の安定及び労働条件の向上に努めること」との付帯決議が第150回国会で決議された。このことに照らしても、勤務医の労働条件改善は必然の流れである。
第四に、医師の働き方改革それだけを取り出して、その是非を検討することは無意味である。
国が従来から進めてきた医療政策との関連性、親和性をつかんだ上で、労働政策としての医師の働き方改革と、医療政策としての医師の働き方改革を突き合わせて検討する必要がある。
医師の働き方改革を過酷な労働条件の是正へつなげるために
以上の4つのことを確認した上で、医師の働き方改革について検討する。
医師の働き方改革には、大きく2つの側面がある。
1つは、勤務医の過酷な労働条件に光を当て、その是正策を検討する契機となる側面。
2つは、国の進めている医療費抑制政策の一環という側面である。
先に1つめの側面について、検討してみたい。
医師の過労死事件は後を絶たない。
2017 年12 月の第5回医師の働き方改革に関する検討会では、遺族である東京過労死を考える家族の会の中原のり子氏が、参考人として話した。
…18 年前になります。1999 年、夏の暑い日でした。
中原利郎は、都内に勤務する民間病院の小児科医師でした。
部長になって半年後ですけれども、自分の勤務する病院の屋上から、新しい白衣に着がえて投身自殺しました。享年44 歳でした。彼は、小学校高学年ごろから小学校の教員か小児科医になりたい、一生子供とつき合えるような職業につきたいということで、私は彼が学生のときに知り合ったのですけれども、小児科医になると同時に結婚いたしました。開成学園から千葉大の小児科で研さんしてまいりました。
彼が亡くなったときに、彼の部長室の机の上に3枚のレポートがありました。
(中略)
この「少子化と経営効率のはざまで」という文章を読んだときに、こんなことのために人は死んでしまうのかと思いました。悲しみと、それを通り越した怒りとともに、彼がこんなに死ぬほどに人生をかけて訴えたいことであれば、私が彼のメッセンジャーになると決めました。この「少子化と経営効率のはざまで」の中では、医療費抑制政策、病院経営が逼迫する経営効率が悪い小児科の閉鎖、診療報酬制度の問題点、小児科の構造的不採算、これなどはこの3枚のレポートをお読みいただけましたら皆様も腑に落ちるところかと思います。それから、多数回の当直による疲労蓄積が医療ミスにつながるのではないか。
中原氏はスライドで、2016 年1月に自殺し、後に過労自殺と認められた新潟市民病院(新潟市中央区)に勤務していた37 歳の女性研修医のことにも触れている。
昨年1月に市内の公園で公園の雪の上で自死/女性は毎月、過労死ラインとされる月80 時間を上回る月100 時間以上の残業を繰り返し、最長だった一昨年8月は251 時間だった。/「気力がない」「病院に行きたくないし、人にも会いたくない」ともらし始めた。/医師になんか、なるんじゃなかった。
全国医師ユニオン代表の植山直人氏は、論点として「客観的時間管理」の必要性を指摘する※3。「現状では、多くの病院が医師の労働時間管理を客観的に管理しておらず、単なる自己申告のみに基づいている」、「労働時間の上限が設けられたとしても、時間管理がずさんであれば意味をもたない」、「現行の労基法は長時間労働の割り増し賃金を高くすることで長時間労働を減らすように設計されている。しかし、ずさんな時間管理と不払い労働が横行しているために機能してない」。
そうした植山氏の指摘から何よりも発見すべきことは、勤務医の過酷な労働を生み出しているのは、医師自身の〈倫理観・使命感〉や〈地域医療への思い〉や〈自己研鑽〉といった個々の医師の意欲・姿勢の問題ではないこと。第一の問題は、勤務医が法的根拠もなく労働基準法の対象外のように扱われてきたということである。
したがって、医師の働き方改革のスタートラインは、研修医を含めた勤務医を労働基準法上の労働者であると確認することである。即ち、労働時間規制だけでなく、賃金面も含め、人たるにふさわしい労働環境を保障することである。
だが、そのスタートライン自体すらも危ういのが今日の議論情況である。
日本医師会が事務局を担当し、医師の働き方改革について医療界の意見を集約して提言したとされる「医師の働き方検討会議」提言書(2017 年4月6日)は冒頭、次のように書いている。
…労働関連法令全般において、医師の働き方の実態に合っているのか見直す必要がある。
…多種多様である医師の働き方を一律に同じ法令で規制するのではなく、一定の標準的なルールの下で、多種多様な働き方を各医療機関が主体的に決めることができる仕組みが求められている。
…法令に合わせた制度という発想ではなく、具体性や実効性があり、「プロフェッショナルオートノミー」(専門家による自律性)に基づく、医師に合った制度自体をまず検討する…。
医師は特別な職業であり、他職種と同様の労働法制による規制を受けるべきではない。むしろ、法規側が医師の実態にあわせたものをつくるべきだ、ということであろう。
だが、本当にそれで良いのだろうか。
検討会議の提言は、働き方改革の示す時間外労働の上限規制を医師に適用するにあたり、「医師の特別条項」と「医師の特別条項の『特例』」を提起する。「現状の医師の労働時間の分布状況、時間外労働規制を導入した場合の地域医療への影響を考えると、一律の上限規制を設定すること自体難しい」と述べ、「特別条項」として「脳・心臓疾患の労災認定基準(いわゆる過労死ライン)を基に時間を設定」、「特例」として「特別条項を超えざるを得ない場合」「特例で対応する」。時間の目安としては「精神障害の労災認定基準、海外の働き方の事例等を手掛かりとして、上限時間を今後検討する」とし、研修医はその対象とする。また各医療機関の個別相談等を担う第三者機関の関与を提言している。
もちろん、現状に比べれば積極的な提案もなされているが、現状にあわせて法規を変える発想では、勤務医の労働時間短縮も労働条件改善もできない。現状、勤務医は人たるに「値しない」労働環境を強いられているのだとすれば、その改善が第一の課題なのである。
もっといえば、他職種の労働者と違う規制の在り方を求めるのであれば、むしろ医師の労働環境についての規制は強化されるべきである。検討会議報告書が書いているように、医師は医療を掌り、医療現場の業務遂行を主導する職種である。まして医療の対象は生命そのものであり、個別性・複雑性が高く、提供の担い手が万全の心身状態で向かわねば、他者の生命を損なう。だからこそ、より厳しく労働条件は管理・規制されるのが当然である。
「特例」には前例がある。公立学校の教職員である。公立学校の教職員は労働基準第37 条の時間外勤務が適用されておらず、時間外労働に何ら歯止めがないことは案外知られていない(教職員給与特別措置法)。
その理由について、文部科学省は次のように説明している。「教員の職務は自発性・創造性に期待する面が大きく、夏休みのように長期の学校休業期間があること等を考慮すると、その勤務の全てにわたって、一般の公務員と同様に、勤務時間の長短によって機械的に評価することは必ずしも適当ではなく、とりわけ時間外勤務手当制度は教員にはなじまない」、「授業準備のための資料作成は、どこまでを対象とするか、どこまで深く掘り下げるかなど、教員の自発性・創造性に負うところが大きい」「いじめのトラブルを回避するために個別に面談を行う場合など、誰を対象として、どこまで丁寧に面接を行うかは教員の判断に委ねられている」、「部活動において各種の大会やコンクールなどでよい成績を収めるために、どのように指導し、どの程度まで指導を行うかは教員の熱意に基づき自発的に判断されている」。このロジックは、「医師の働き方検討会議」の記述とほとんど同じものではないだろうか。教職員の過労死は教育界の大きな問題となっており、子どもたちの発達と生命を守る先生が自らの生命を守れない労働実態にある。
医師の働き方に光の当たる今、いかに医師の健康と生命を守るのか。そして患者の生命と健康を守るのか。その両立のためにどのような手当てを国家は政策判断すべきなのか。問われているのはその点に尽きる。
医療崩壊をもたらした医療政策の失敗と現場の疲弊
2つめの側面について、検討したい。
医師の過酷な労働を生み出してきた主要な原因は、日本の医療政策の失敗である。
2000 年台の初頭から後半にかけて、〈医療崩壊〉という言葉が連日、マスコミで報道された。厳しい労働の実態、相次いだ医師・看護師の逮捕・刑事告訴等に煽られた不安、地方における診療科不足、救急医療の不足と「たらいまわし」事例に対する国民的な批判も沸騰した。そんな中、それまで現場をまさに体を張って支えてきた医師たちが、突然病院に表れなくなる、「立ち去り型サボタージュ」なる事象まで起こっていた。医師の過労死・過労自殺もそうした事態の中でもたられさた。
それらをもたらしたのは何だったか。
それは、高齢化が進む中で増え続ける救急患者、在院日数の短縮、医療安全への配慮などが病院医療の現場を逼迫させているにもかかわらず、全ての都道府県の医師数がOECD諸国の平均を大きく下回るという、国際水準からは到底考えられないほどの絶対的医師数の不足であり、にもかかわらず国政策が「医療費亡国論」のまま思考停止し続けていることに他ならなかった。
病院医療の危機状況の中、受け止められない医療需要を地域で支えていたのは開業医である。開業医の労働実態も厳しさを増した。開業医が日々、担っているのは診療だけではない。地域の介護・福祉との連携、煩雑で膨大な手続きと書類書き、産業医・学校医、自治体の検診事業への出務、地区医師会員としての業務、会議、講習、診療報酬の「施設基準」を満たすための講習会と、勤務医の過酷な労働状況と仕事の構成こそ違うが、過酷な労働実態にあるのは同様である。
医療崩壊への国民的な批判を受け、政府も2006年~2007 年にかけて、ついにそれまでの医師養成数削減一辺倒の方針を修正しはじめた。
だが今日の状況をみれば、医療崩壊をもたらした事態が改善されたわけではなく、相変わらず医師をめぐる過酷な状況は継続している。あっという間に国は医師数抑制を再び口にするようになり、医療崩壊への手当など忘却の彼方であり、2008 年の高齢者の医療の確保に関する法律を一つの転換点として、医療制度構造改革による医療費抑制システムの本格構築へ突き進み始めた。入院医療費抑制と同時に在宅医療推進を含む地域包括ケアシステム構築が一体的に推進され、勤務医はより過酷さを増し、開業医が受け止める需要がさらに増加する流れがつくられてきた。
医療システムのパラダイム・シフトと働き方改革
そして今日、医療制度の構造改革はそのフォーマットを完成させ、あとは転がし続け、(=PDCAサイクル)必要に応じてマイナーチェンジを繰り返すという段階に入っている。
構築されたシステムは、都道府県を介護分野も視野に入れた医療費管理の拠点に位置付け、保険財政と医療提供体制を一体的に管理させ、公的な負担が膨張しないよう、手立てを講じさせるというものだ。提供体制については、先ず病床から着手。国が定めた一元的な推計方法によって2025 年の機能別必要病床数(高度急性期・急性期・回復期・慢性期)を二次医療圏単位で定めさせる地域医療構想を策定させた。これによって大多数の入院医療機関は、実質的に構想の枠内のみでしか医療提供・経営できない状況が生み出されている。医師については、7月に国会成立した医療法及び医師法の改正により、やはり都道府県に二次医療圏を「医師多数区域」と「医師少数区域」に分別させ、各々の「医師確保目標」を立てさせる仕組みが導入されることになった。医師が多数であるか、少数であるかは国が示す「指標」によって判定され、「医師多数区域」での必要な医師数(それに対する余剰な医師数)も示されることになる。このことが、入院医療機関における勤務医確保や、診療所の「開業」に対して、「地域」による「自主的・自律的な規制」が求められるであろうことは想像に難くない。
国は、医療費支出の多少に直結する病床数・医師数をコントロールするシステムを作り上げた。以上のような病床・医師数の管理政策と同時に追求されてきたのが、「医師の働き方改革」も包含する医療システムの「パラダイム・シフト」である。
今回の医師の働き方改革に関する検討会の議論は、2017 年4月の「新たな医療の在り方を踏まえた医師・看護師等の働き方ビジョン検討会」(座長・渋谷健司東京大学大学院)報告書が踏まえられている。
同報告書は、国民皆保険制度の理念である「いつでも・どこでも・誰でも」という「平等」の理念を「再定義」し、医療システムを「高生産性・高付加価値」構造へ転換すること。同時に医師を含む医療職は、「社会的価値の高いキャリア」の追求、その結果として、「国民の納得する効率の良い医療の実現」を謳うものだった。
全編を通じ、頻用される「パラダイムの転換」(これは、渋谷座長が同様に委員を担い、取りまとめた「保健医療2035」以来の路線でもある)という言葉。その必要性は次のように語られている。即ち、日本の医療制度を「高生産性・高付加価値」構造へ転換することにより、その専門性を高め続けるプロフェッショナリズムの下で、住民・患者の価値を最大化できる「働く人が疲弊しない、財政的にも持続可能なシステム」の確立―そのためのパラダイムの転換である。
転換の対象にあげられたのは、①働き方、②医療の在り方、③ガバナンスの在り方、④医師等の需給・偏在の在り方であり、今日の医療にかかわるほとんどすべてである。
例えば、働き方や医療の在り方に関し、「医師主導による診断と治療中心の医療から転換」という視点が示される。具体的方向性として、「タスク・シフティング」と称して、特定看護師育成、「診療看護師(仮称)」創設、介護職員・医療・福祉職養成に「共通課程」を導入、PA(Physician assistant)の創設、薬剤師の役割強化。「タスク・シェアリング」と称して、医療・介護・看護の一体的提供の強化。これらによって、医師の生産性と医療の質を高めるのだという。
ガバナンスの在り方に関し、「医療従事者が、その意欲と能力を存分に発揮できるよう」「キャリアと働き方をフルサポート」するとして、「医療従事者の業務負担軽減や、育児・介護等へのきめ細かな配慮等を行うには、現に医療従事者が働く場である医療機関自身が、必要な人材・労務マネジメント能力を培う、すなわち自助努力と健全な切磋琢磨を尊重すること」を打ち出している。
医師等の需給・偏在の在り方に関しては、「医師不足」概念の転換が語られている。
全国一律の制度設計・サービス提供を志向した従来構造からの脱却し、「全国的に保健医療の物的・人的資源を外形的に均てん化する」こと、「人材養成数を増やすことで労働力を確保する」こと、「不足する地域に強制的に人材を振り向けること」を止める。代わって都道府県はじめ、地域自らが需給推計から供給確保までをコーディネートする仕組みの必要性を提言。地域主導でまちづくりと連動した医療・介護基盤整備を進める。さらに都道府県による初期臨床研修の定数設定や新専門医制度研修への関与を強化し、国からの権限移譲を進め、偏在解消策も地域自らが考えられるようにする。
外来医療も診療科ごとの医師配置状況等、供給体制をデータで把握し、必要な診療科の方向付け等を行う。
一方で強調されるのがプライマリケア確立である。従来、開業医の担ってきた役割を「一層体系化・明確化された形で」システム化する方向性である。そのために総合診療専門医育成を強化し、将来的に「かかりつけ医すなわちプライマリケアを担う医師を定め、日常の健康問題に関する診療は、まずはこれらの医師が担うこととして、専門診療を必要とする場合には、その紹介によること等」を検討するという。あわせて、「診療報酬におけるアウトカム評価と医療費の定額払い」によって、「地域の医療機関全体にメリットが生じるような医療保険制度の見直し」の検討を打ち出す。
また審査支払機関の在り方にも触れており、電子的に収集される健診情報やレセプト情報をビッグテータとして活用。「レセプト・コンピューターチェックを標準化・効率化しつつ、充実」し、「審査支払機関が業務集団から頭脳集団に変革」するため「常勤の医療従事者を配置」するという。
以上のような取り組みを進める中で、「働く人が疲弊しない、財政的にも持続可能なシステム」構築されるのだと、報告書は語っている。現存する日本の医療制度は、1961 年の国民皆保険達成以降、様々な仕組みの変更が施され、接ぎ木されながら今日の姿に至った。一方、皆保険体制の下で、医師・医療関係者・自治体・患者が意識的・無意識的に積み重ねてきた行動や思考の様式、習慣、「認識の枠組み」(=パラダイム)は、現制度が存在する土壌を構成しているのであり、その転換(=パラダイム・シフト)が仮に正しさを持つものだとしても、お仕着せで進めることは危険であり、そもそも不可能である。なぜなら、そこには「医師の働き方」という言葉では括ることのできない「医師とは何か」という根本問題が絡みついているからである。
国は医療制度のパラダイム・シフトと、その方向に親和的な医師像そのものの再構築を企図している。さらにそこには、公的分野の産業化、医療を成長産業として位置づける(医療分野の研究開発に資するための匿名加工医療情報に関する法律等にも明らかなように)ことで、研究開発分野で働く医師、研究者に対する規制緩和的措置という側面もあるのではないかと考えられる。
働き方改革は以上のような、大きな改革構想の中にある政策なのである。
今日、「医師の働き方改革」を検討するにあたり、医師の時間外労働規制ばかりが取り上げられている。それは極めて重要な議論だが、それだけに議論を集中させるのでは不十分である。医療制度全体の見直しの中で働き方改革を捉える視点を持った検討が求められている。
国・厚生労働省による医師の働き方改革に関する議論への意見
この議論の大前提は、医療の保障は医師なくしてはあり得ず、医師の健康が守られないままでは、患者の生命や健康を守ることはできないということである。その原則に立った労働条件の改善等が図られることを期待し、以下のとおり意見を述べたい。
厚生労働省の医師の働き方改革に関する検討会の「中間的な論点整理」は、医師の働き方改革を「できるだけ早く着手しなければならない」課題と述べ、先に実施した医師の勤務実態調査の分析から、長時間勤務の要因を次のようにあげた。
①急変した患者等への緊急対応
②手術や外来対応等の延長といった診療に関するもの
③勉強会への参加など自己研鑽に関するもの。
以上については、国・地域・医療機関レベルで引き続き議論が必要である。
また、同日にとりまとめられた「医師の労働時間短縮に向けた緊急的な取り組み」における、「医師の労働時間管理の適正化」や「36 協定」の自己点検等の方策についても、医師の健康管理の観点から各医療機関での取り組みが求められると考える。
以上の点を踏まえた上で、今後の検討に反映していただきたい提案を次に列挙する。
〈提案1〉
勤務医は労働基準法の適用を受ける労働者であり、人たるに値する生活を営む権利を保障されねばならない。他職種・他産業の労働者と同様に、医師の時間外労働の上限規制は実現されるべきである。
そのために必要なことは、交代制勤務などの改革が検討できる医師の増員である。これを裏打ちする診療報酬の引き上げと医師養成数の確保が必要である。各医療機関において医師増員を可能とする形での診療報酬の大幅引き上げであり、医師養成数の確保である。
提案理由
勤務医の過酷な労働条件に光が当たり、是正策が検討され始めたことは歓迎する。
医療が人間の手による人間に対する労働である以上、医師が健康を維持できない環境は改善さればならない。
医師の長時間労働の原因を、医師の仕事の特殊性や、個々の医師の資質・意識・職業倫理や規範のみに求め、労働基準法上に「特例」を設けることや、高度プロフェッショナル制度を適用することでの「解決」へと議論を矮小化せず、医師養成・医師確保・医療経営を支える形での診療報酬の改善につなげる議論が必要である。
日本国憲法第27 条1項は、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」とある。
第2項には「賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める」とある。
憲法にある「勤労条件にまつわる基準」を定めた法規が「労働基準法」である。
同法第1条は「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない」とされ、同条第2項に「この法律で定める労働条件の基準は最低のものであるから、労働関係の当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもとより、その向上を図るように努めなければならない」とある。
この原則から、医師を除外する理由はなく、医師の働き方改革は少なくとも勤務医は労働者であり、「人たるに値する生活を営む」労働条件を保障されるべきであるとの認識から出発すべきだと考える。
ただし、過労死ラインを超えないため、診療制限に踏み切る病院の動き等が報道され、「規制だけでは地域医療が崩壊する」との指摘があることも事実である。少なくとも現時点では、労働基準監督署の指導が高圧的なものであってはならない。
〈提案2〉
国は、長時間勤務の是正のためとして、タスク・シェアリング、タスク・シフティングや応召義務のあり方見直しなどをあげている。だが、この議論は本来、望むべき医療制度の姿、医療とは何か、医師とは何かという問題であり、慎重かつ丁寧な議論をすべきである。
同時に医師の働き方を改革には、労働時間とならんで労働のありかたも重要である。
病棟・外来・救急・手術・処置などの多重業務、医療安全、患者説明、文書発行、医療介護連携などは付随する責任を過重なものにしており、長時間労働と併せてストレスを増大させ健康を蝕む要因となっている。
医師が生き生きとやりがいを持って働ける環境づくりは重要な課題である。
提案理由
勤務医の労働条件改善の具体方策として取りざたされているのが「タスク・シフティングの推進」である。
だが、医師の働き方改革が議論の俎上にのる以前から、国は特定行為に係る看護師の研修制度導入や、関連して介護職による喀痰吸引等、一定の医療行為を認める制度改正を進めてきた。医師が担ってきた仕事の他職種へのシフトは、従前からの国方針であり、あたかも「労働環境改善」のための提案であるかのように検討することに違和感がある。これは医師とは何か、という議論を抜きにして語れないもののはずである。
〈提案3〉
勤務医の労働条件改善を進めると同時に、地域の開業医や介護・福祉関係者の疲弊状況の把握・改善が求められる。
提案理由
今後、働き方改革をめぐっては、勤務医の労働条件の改善にかかわって、開業医との役割分担が本格的な議論対象となると考えられる。これにより開業医が業務過多となることを危惧する。医療費抑制策の転換と医師数増政策の推進をしなければ、勤務医と開業医は共倒れする。
すでに国は将来、「かかりつけ医すなわちプライマリケアを担う医師を定め、日常の健康問題に関する診療は、まずはこれらの医師が担うこととして、専門診療を必要とする場合には、その紹介による」仕組みを作ることを「働き方ビジョン検討会」報告書(2017 年4月)で述べている。
国民皆保険制度はいつでも・どこでも・誰でもが必要な医療を必要なだけ保険証1枚で保障する仕組みであり、それを可能にしている仕組みとして、療養の給付(出来高払と現物給付)と並んで、フリーアクセスは極めて重要であると私たちは考えている。その点から、私たちは国のビジョンに対し批判的見解を持っているが、働き方改革の議論を通じて国の考えるビジョンへ誘導していくことはあってはならない。
あくまで、開業医も含めた医師の生命・健康を守り、患者の医療を守ることのために、議論をすすめていただきたい。
医師の働き方改革の議論が、医療政策の全体像の中での働き方改革という視点で以て、今後進められることを切に願う。
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※1働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律案の概要
※2朝日新聞DIGITAL 2018 年6月29 日
※3「勤務医の働き方の現状と改善への道」『月刊保団連2月号』
所収 2018 年2月1日発行
【参考書籍】
- 『労働法 第2版』小畑史子・緒方佳子・竹内(奥野)寿編著(有斐閣ストゥディア刊)
- 『最近10 年間における労働法の規制緩和』柳沢房子著 (レファンス 平成20 年4月号)
- 『反構造改革』後藤道夫著(青木書店刊)
- 『誰が日本の医療を壊すのか』本田宏著(洋泉社刊)
- 『日本の時代史28 岐路に立つ日本』後藤道夫編(吉川弘文館刊)