読売新聞大阪本社編集委員 原 昌平
ネコのように生きよう
イヌかネコのどちらかに生まれ変わるとしたら、どっちになりたいですか?
私の家には現在、ネコが4匹いる。以前に飼っていた2匹が相次いで他界したあと、縁あって、野良から保護された子ネコたちをもらった。
1匹はオスで黒。他の3匹はメスで、白、三毛、シャム系雑種。毛並みだけでなく、性質がずいぶん違う。
無防備、甘えん坊、臆病、フレンドリー。ひざに乗るネコもいれば、抱っこを嫌がるネコもいる。なでてほしがる部位も頭、おなか、下半身など、まちまち。ネコにそれだけ個性があるのだから、人間も当然、生まれつきの多様性が大きいのだと実感する。
飼い猫の場合、人間の住まいで暮らし、食べ物も水も人間からもらう。つまり人間に依存して生活している。
だが、人間の言うことは聞かない。気ままに遊び、気ままに寝る。無理しない。頑張らない。名前を呼んでも、気が向かないと知らん顔。空腹になったらエサをねだる。教えなくてもトイレを使う。
人に頼りつつ、主体性と自由を保ち、必要ならためらわずに助けを求める。それは社会保障や各種のサービスを活用しながら「自律」した暮らしを実現するのに似ている。
ネコは何かの役に立つのか。もはやネズミを捕る時代ではなく、泥棒よけにもならず、壁や家具は爪で傷だらけにされる。なのにネコを飼うのは、人間に甘えてくることで、あるいはそこにいるだけで「癒やし」になるからだろう。そう考えると、役に立つとはどういうことか、人間の存在価値とも関係してくる。
イヌとの決定的な違いは、飼い主と主従関係にならないことだ。支配されることも、顔色をうかがうことも、こびることもない。
ネコ同士の関係も興味深い。仲良くじゃれあうこともケンカすることもあるが、ボスはいない。力の強い弱いはあっても、決まった上下関係はない。仲間とつきあいながらも基本的に個人主義で、ほどほどの距離感を保ち、争っても深傷は与えない(野良の場合は違うかもしれない)。
イヌの祖先とされるオオカミは、集団で狩りをする。リーダーに従って統制のとれた行動をする必要がある。一方、ネコ科動物はライオンを除いて単独生活で、個体の能力が生存を左右する。
日本社会はイヌ型の傾向が強かった。集団行動による成果を重視する。上に立つ者の指示を従順に聞き、与えられた役割を着実に果たすことが求められた。農耕や工業が主体の時代には向いていた。
だが今は、個別性が意味を持つ情報化の時代。しかもリーダーが本当にみんなのことを考えているなら、まだいいが、あちこちにサル山のような状況がある。餌付けされたニホンザルの群れにはボスがいて、権力をふるう。
人間はけっして、イヌでもニホンザルでもない。ネコの要素もたくさん持っている。日本でネコブームが続いているのは、ネコの生き方がうらやましいからではないか。
個性、主体性、自由、好奇心、遊び、対等な関係。ネコに学んだ生き方や社会が、これからの時代にふさわしい。