79年からは6代目の野中一二三町長のもと、いろんな取り組みがされています。私は都市計画を担当しました。
そして、あくる年の人事異動の時です。「総務課長は垣村」と言われたので、びっくりして、思わず立ち上がってしまうほどでした。私はこれまで事業畑で仕事をしてきているんです。なのに管理畑に行けというのです。「町長はん、それは間違いとちがいますか」と言ったのですが、順番から言って垣村しか残っていないと言われました。
この異動で大変苦労することになりました。異動は6月だったのですが、さっそく6月議会があります。これにどう対応すればいいのか。前任の課長は、衛生管理組合の事務局長に転任してしまっていて、訪ねに行くにも行けない。それで、議会事務局に行って、参考に3月議会の議事録を見せてもらおうと思ったのですが、まだできていないというのです。誰に聞いていいのかいよいよわからない。初めはそういった苦労の中から始めなければなりませんでした。いま思えば、大変いい勉強だったと思います。
また当時、国際交流会館、その隣にある園部情報センター、こむぎ山健康学園(保健センターと母子センターが一体化したもの)が建てられました。健康学園では町の健康事業が行われました。「保健事業は役場の中で行うものじゃない」というのが一二三町長の考えでした。町長は住民の健康管理にはずいぶん力を入れていました。
町として、保健師を確保するのに大変苦労しましたね。京都府内はもちろんのこと、大阪や兵庫の保健師養成学校に出向き、町に来てもらえるようつとめました。しかし、当時園部町が出すような給料では来てくれない。やっと人員を2人確保し、それが4人になり、5人になったかと思ったら、すぐさま3人辞めるということで、欠員の3人を探しにあちこち足を運んだことも思い出されます。
過去の「広報そのべ」を見てみますと、園部診療所など開業医の方々にお世話になっていることがわかります。乳児の健康相談とか、百日咳の予防接種、妊婦健康相談などが行われています。結核の一斉検診も行っています。おそらくこのときはお集まりのみなさんのお世話になっていたんだろうと思います。また、赤ちゃんの保健相談は55年頃にはすでに始まっています。
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