急速に発展した1960年代  PDF

 1959年には、南丹病院の園部診療所が開設されました。同じ時期には、国道9号が開通しています。60年には、市街地の上水道事業が一気に始まりました。
 60年頃には、中学校の統合を進めました。小さな中学校を多く維持するのは大変経費がかかるということで、園部大橋近くに新しい中学校を建設することにしたのです。現在は園部小学校の校舎となっています。
 その頃、市街地のし尿処理は、車をゴロゴロ引いて各家を回って集めていました。衛生的にもこれではいけないと、私もし尿処理を先進的にやっていた自治体に研究をしに行きました。し尿処理施設は、園部町単独ではなく船井郡7町で共同でつくられました。
 63年には、市街地での上水道の配管を終え、統合中学も竣工しました。
 65年には、町が農協に補助を出して有線放送の設備を整えました。当時電話の普及率がまだ低かった頃でしたので、農村部や電話のない地域にとって大変便利なものとなりました。
 この頃には、簡易水道が整備されます。それまでは井戸水を利用していました。市街地の水質はわりとよかったのですが、そういった事業も進められました。
 また、71年頃には園部の開業医の先生に町医、学校医をお願いするようになりました。その甲斐あって特に園部小学校は、69年から73年まで5年連続で文部省から全日本健康優良学校として表彰されています。
 72年、身体障害者療護施設ができます。現在、社会福祉法人京都太陽の園が「こひつじの苑」を運営していますが、もとは京都市在住の方が、一般のみなさんから寄付をいただいて開所したのが始まりです。73年には、特別養護老人ホーム長生園ができています。

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