要援護児童対策  PDF

 要援護児童対策の拠点は児童福祉センターである。現在は伏見にも第二児童福祉センターがある。児童福祉センターは、「児童院」(1931年)を原点としている。戦後1948年に心理部を創設、以来徐々に充実してきた。81年には児童福祉センターへ改組。乳幼児期の障害児教育に重点を置くため「総合療育事業」を開始した。
 児童相談所は時代とともにニーズに応えて変化してきた。
 児童虐待の件数は1998年から急増した。実件数が増えたことに加えて、児童虐待への認識が市民に共有され始めたことが大きな要因である。
 国もさまざまな対策を進め、2007年には家に入れてくれないケースで、警察官が同行し、鍵を壊し、踏み込めるようになった。しかし現場での適用は国と現場の間でギャップがあった。国が虐待による事故防止に力点を注ぐのに対し、京都市の現場ケースワーカーは親子関係の再統合を目指していた。
 京都市では2001年に子ども虐待アクティブチーム・子ども虐待SOSを開始した。04年には子ども虐待防止ケアチームを新設。2班10人体制で「親子関係の再統合」を図るものだ。虐待に至らないためには観察が重要であり、その体制確立も必要と考えられた。職員体制では児童福祉司を国基準の30人を大きく上回る41人を配置し、相談支援組織を整備し、虐待防止専従班と地域班を設置し、個人恫喝など困難なケースにもチームプレーで対処できる体制をとった。
 次に障害児施策は三つの段階で発展した。
 第1段階は、家庭内保護から社会へである。
 第2段階は、障害別施設の整備である。総合療育所の中に障害別の学級をつくり、小さな時から早期療育を実施するようになった。1995年に自閉症外来を開始、99年に伏見区に児童療育センターを設立。2005年には機構改革で「要保護児童・虐待部門」と「障害部門」に再編した。
 第3段階は、新分野拡大であり、発達障害児(アスペルガー症候群)の顕在化を行った。
 発達障害者支援センター「かがやき」は、アスペルガーを中心とする、早期発見、早期療育から社会人の相談事業までライフステージをカバーする発達障害対応の拠点である。
 当時、全国的にはアスペルガーは知られておらず、一般に行儀の悪さは躾のせいと考えられ、母親が非難されることも多かった。
 児童福祉センターの医師が数少ない専門家として休日返上で全国への普及啓発技術指導に努めていた。京都市周辺の都市からも来訪者が多く、待機者が急増していた。
 このため拠点整備が進められ、機能面・人員面で最高の施設を目指した。市の財政はさらに逼迫しつつあったが、要求通り予算が認められ、国基準4人に対して委託先職員7人と京都市との兼職職員でスタートすることができた。

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