2017年4月半ば、第69回日本産科婦人科学会出席のため広島に旅立った。他の日本の都市が更新(上書き)につぐ更新(上書き)で過去は跡かたもなく消え去ってしまうのに比べ広島は世界で初めて原爆の惨禍を被った都市ということもありいつも1945・8・6に寄り添い現在の刻とその刻とが振り子のように往復しているようだ。路面電車が動いているのがまたノスタルジックでとりわけ広島のそれは原爆からの復興のシンボルなのだから当然といえば当然だが。現代のスピード崇拝に抗するかのようなゆったりとしたリズムが心に安寧をもたらしてくれる。京都の市電には学生時代に随分お世話になったが今や現役の姿はなく梅小路で過去の遺残を見るのみである。実は原爆の第一候補地だった京都が原爆の惨禍を免れた市電を結局のところ手放すことになったのは歴史の皮肉かもしれない。電車が通る都市はその路面をかすめゆく快い響きとともに落ち着かなく通り過ぎる車とは対照的なリズムを刻んで視覚的にもメリハリがあると私は思う。
原爆ドームを見る観光客はここでも大半が外国人だ。太田川ぞいのカフェも占拠されて口々に高いアイスクリームをほうばっていた。わたしはほうほうの体でその場から離れ、広島名物の焼き牡蠣の店にぶらりと入った。懇親会があるので小腹を養うために焼き牡蠣2皿のみを注文すると店員は少し変な表情を浮べたようだった。豊かな牡蠣肉は広島ならではの芳醇な味で懇親会の前菜としてはぴったりだった。懇親会場で、すぐさま同級生と会うがあまりお互い変化がなさそうなのは結構煩雑にあっているからなのか? 思えば同世代の産婦人科入局は6人だが今でも現役を続けているのは3人のみでそのうち分娩をまだやっているのはたった一人だけなのだ。すでに他界した人も2人いる。最も祝祭的な学会のためか、いたるところでひょこっと知人に会えて言葉を交わすのがうれしい。でも従来からの知人だけでなく新しい友人とも知り合いになりたいものだ。それには演者に対する質問が近道である。学会2日目の昼過ぎの時間を県立美術館に隣接する縮景園に遊んだが散りゆく桜が見事で瞬く間に葉桜に変貌した。いつもながらの潔さで、わたしもかくありたいなと思いを強くしたものだ。(おわり)
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