それぞれの土地で2  PDF

阿部 純(宇治久世)

インド昨今

 昨年のシルバーウィーク(2016年9月21日~9月25日)に国際学会でインドへ行った。実に35年ぶりのインド訪問であった。前2回と比べ旅行期間も短いし、なにより旅行者の年齢が高くなっていた。しかし、インドも変わっているはずだと旅立ちの前から予測し、その変化がわたしにとって楽な方向に向かうのか、それとも少しがっかりするのか、一抹の危惧もあった。ただ今回は、観光ではなくあくまでも学会なのだから、前2回の訪問とはその質が当然違うはずだった。インドはもともと反グローバリズムの旗手だったはずだ。13億もの人口を抱えているのだから、人間宇宙船インドは人力によって事を起こす国である。だが、その一方、インドは0を発明した国でもあり、南部インド、とりわけハイダラバードを拠点とするITのメッカでもある。前2回は最大都市ボンベイ(ムンバイ)とカルカッタ(コルカタ)だったが、時代も違い、飛行機で降りたった時の情景がまるで別世界だった。好奇心を丸出しにしたぎらぎらした無数の瞳の熱気には、20代の若者のエネルギーさえも奪ってしまうようなパワーがみなぎっていた。それが今回はどうだ! インディラ・ガンディ国際空港のあまりに静謐な空気に正直、気抜けしてしまった。変化はいたるところに転がっていた。あの苦労したトイレはどこへいった? ずらーと並ぶトイレ群にはロールペーパーがちゃんと置いてあるじゃないか! そして、一番端っこのトイレにだれも使いそうにない、懐かしきインド風トイレが悲しそうに一つだけ残存していた。バクシーシ(物乞い)はどこへいった? これも政府の方針で淘汰されたようだ。もちろん、ニューデリーというインドの外国むけの首都のせいもあるだろう。店の天井を見ろ! 取り付けられているはずの扇風機がないではないか! 一瞬、わが目を疑い扇風機が天井に取り付けられて回っているような幻覚にとらわれた。
 わたしの知っているインドはもうどこにもないのか? 店員やホテルのボーイの日本語の流暢さにはおどろき、渡航前のヒンズー語習得が馬鹿のように思えた。これもひとつのグローバル化だろう。しかし、インド時間はなお現存し、学会のbanquetのスタート時間やシャトルの到着時間はルーズを極め、相変わらず幅のあるファジーな時間は変わっていないようで安心したものだった(笑)。

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