ドキュメンタリー映画としては異例のロングラン・ヒットだという。もちろん「君の名は」や「シン・ゴジラ」とは桁数が違うのだろうが、ドキュメンタリーがほとんどテレビから消えている中では、これ自体、「事件」だと思う。
「FAKE」は、「ゴーストライター騒動」で世間から袋叩きにあった佐村河内守氏を主演としたドキュメンタリー映画だ。
監督の森達也氏は1998年、地下鉄サリン事件後のオウム真理教を題材にした「A」で監督デビューした。森達也氏の作品は、物事を多面的に捉えることの大切さを、語りかけてくる。そして読者に考えさせる。いつの間にか私たちの暮らす社会は、同質化を強いられ、異質なものの排除や差別すら肯定されるようになっていないか。芸能人の不倫へのバッシングに端的に表れているように、何かに「失敗した人たち」を徹底的に叩いては留飲を下げる、醜い世界になっていないか。テレビやインターネットで語られていることだけが、物事のすべてではなく、それが絶対的な正義ではない。視点を少し変えるだけで、私たちの目に映る世界の様相はまるで変わる。世界とはもっと多面的で、もっと豊かなものなのだ。
「FAKE」は劇場で観て、最近発売されたディレクターズカット版のDVDを購入して、何度も観た。作品は佐村河内氏が本当に「聞こえないのか」だとか、本当の作曲者だったとされる新垣隆氏の主張のすべてが本当なのかだとかを検証するものではまったくない。そもそも森氏はジャーナリストではなく、表現者である。「FAKE」を観ている間、私に届いたメッセージは次のようなものだった。「本当」と「嘘」、「善」と「悪」というふうに、すべてのことを二元対立でしか見ない生き方が、どんなに貧しく、寂しいものであるか。
東京都議選の最終盤、安倍首相が秋葉原で「帰れコール」を受けている映像を見た。安倍氏は声をあげる人たちを「こんな人たち」と呼び、自分が正義で、敵対する彼らは悪であると描き出そうとしているように思えた。
そのような人間の見方や、世界の捉え方しかできないのは、本当に悲しいことだ。
(事務局・中村 暁)
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