マダガスカルの地理・歴史
亜熱帯に属してはいるが、国土は南北に長く、中央には高地がつながり、更に貿易風と季節風が吹くため各エリアによって気候は大きく異なる。11~3月の雨季と4~10月の乾季に分けられる。マダガスカルの最初の住人は、1世紀前後、ボルネオ島から航海カヌーでインド洋を横断してマダガスカルに移り住んだことが確実視されている。その後、アフリカ大陸東部から渡ってきた人々とボルネオ系(マレー、ポリネシア系)の人々との混血がすすんだ。
マルコ・ポーロはソマリアのモガディシオ地方とマダガスカル島の事物を混交した記述を「東方見聞録(完成1299年)」に残していた。1500年8月10日、ポルトガル人のディエゴ・ディアスがヨーロッパ人としてマダガスカルを「発見」し、ここがマルコの書いた「マダガシオ」に違いないと考えた。これがマダガスカルの名前の由来となっている。
そののち、ポルトガルのみならずイギリス、オランダが自国の拠点を築こうとしたが、住民の反発を受け失敗した。フランスは1643年、島南端に要塞を建設するものの1673年、撤退を余儀なくされたが、その後もフランスは統治権を主張し続けた。マダガスカル国内では小王国の乱立により国は乱れ、フランスはそれに乗じて19世紀末に最後のメリナ王国を滅ぼし、1895年メリナ王宮の置かれていたアンタナナリヴを占領し、1896年8月6日、フランス政府はマダガスカルを植民地と宣言した。
第二次大戦後、政情不安が高まり1947年3月には犠牲者数千~9万人ともいわれる大規模な暴動が発生した。1959年4月29日には憲法が制定されて、5月に最初の大統領選挙が行われている。
1960年6月26日、マダガスカルは正式に独立を宣言した。
独立後もたびたび、部族対立、暴動、ゼネラルストライキ等で政治は安定せず、戒厳令、大統領亡命と続き、2009年1月のマダガスカル・クーデターなど、権力が目まぐるしく変遷したが、2014年1月民主的な選挙により正式大統領が選出されている。