マダガスカル 1  PDF

関 浩(宇治久世)

アンタナナリヴ着

マダガスカルと聞いて、どんな印象をお持ちだろうか?
南アフリカの東にある島国、6500万年前に絶滅したと考えられていたシーラカンスのマダガスカル近海での発見(注)、あるいはアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの小説に書かれてある不思議なバオバブの樹を思い浮かべるといったところではないだろうか。実は私もそんなところ。バオバブの並木以外に野生のワオキツネザルに会えればと出発した。
関空から長時間を費やし、首都アンタナナリヴ近郊の飛行場に着いた。少額の米ドルを現地通貨アリアリに換金し空港を出て、日本語ガイドのイリソア29歳と運転手パトリック45歳の出迎えを受けた。人口約200万人のアンタナナリヴ市内は道が狭く混雑し、市内を抜けるまで、さっそくたっぷり排気ガスの洗礼を受けた。今日の宿泊地アンツィラベまで国道7号線を南に170㎞、4時間の行程だ。パトリックは自分の目の前に車があるのが我慢できない性質なのか、早くホテルについて休ませたいのか、スピードを緩めるのは道路の窪みやマウンドだけ、もちろん、見通しの悪いカーブで闇雲に追い越しはかけないが、今も目の前の大型車両の追い抜きをかけ始めた。乗り合いバスだろうが、満杯の乗客、屋根にも大量の荷物を積み上げ、ただでさえ高い重心がもっと高く見える。カーブで傾く、タイヤが斜めにも三角にもなっている! しばらくして緩いS状の下りカーブに差し掛かる、左の対向車線から車長の長い大型トラックがうなりをあげて蛇行してくる。右側の歩行者、自転車の一群に対しても意に介さず、スピードを緩めず、突進する。トラックと交差するとき、まるで横腹に体当たりする錯覚を覚える! 「遠くマダガスカルで邦人事故!」のタイトルが目に浮かび、転がり落ちたら何の役にも立たないだろうが、シートベルトをしっかりと締めなおす。夕方の早い時間から灰色の景色が強まり、6時が過ぎると残照も消え、真っ暗、街灯は皆無で、民家があっても門灯はなく、所々開いている雑貨屋の正面を通る時だけ、わずかにうす暗い店内が見える程度である。
人口約18万人のアンツィラベの閑静な一角にあるホテルCOULERU Caf(クルールカフェ)に着く。
夕食はホテルのレストラン。先にアペリティフをたしなんでいたのはドイツ語圏の中年女性7人、ほどなく長らしき人の発声で夕食会が始まった。後に2人が加わり、更にテンションが高まる。甲高い会話、哄笑、勢いに圧倒され、他のテーブルでの会話が少なくなる。女子会の迫力、洋の東西を問わない。
石鹸もなく、シャンプーだけのシャワーには閉口した。室内は寒く、セーターを着たまま疲れのためバタンキューと1日目が終わった。

(注)1938年、南アのカルムナ川河口沖で偶然、トロール網にかかり、ついで14年後の1952年コモロ諸島で、また1979年には日本の学術調査隊がコモロで5匹を捕獲、「沼津港深海水族館」において冷凍保存と剥製が展示されている。

筆者プロフィール
1984年、京都府宇治市にて医院開業。97年6月より京都府保険医協会理事に就任。03年6月から副理事長、09年には理事長に就任。13年から同顧問となり、現在に至る。

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