著者と3人の二硫化炭素中毒患者さんとの出会いは1983年にさかのぼります。3人は、ユニチカ宇治でレーヨン製造に携わる働き盛りの労働者でした。3名とも作業環境中の二硫化炭素による中毒が疑われました。現場の臨床医である著者は、会社のずさんな二硫化炭素の作業環境管理により、中毒患者が出たことに憤りを覚え、労災認定に取り組むことになります。しかし、当時の国の労災認定基準では①「相当の濃度」への曝露と、②「脳血管障害及び二硫化炭素網膜症」(昭和51年、労働省)の両方が必須。低濃度での患者の救済に大きな障害となっていました。
そこで、専門家の協力を得て、当時の最新鋭であったMRIを駆使。患者さんすべてにラクナ梗塞を見出し、脳血管障害を証明します。また眼科医の協力で特徴的な二硫化炭素網膜症を証明。この結果、因果関係は②だけで十分であることを示しました。先の見えない苦しい闘いでしたが、著者らの活動は、国会での労働大臣への質疑となり、①の根拠を国は持っておらず、労災認定基準のずさんさを余すことなく曝露しました。家族や仲間とともに1992年に労災認定、その後1997年に和解を勝ち取ることになります。
本書には書かれていませんが、産業医学の研究推進と発展にも貢献しています。頼りにならない国を見限ったレーヨン製造企業の団体である化繊協会は、1992年から1998年にわたる6年のコホート疫学調査を自前で実施し、低濃度曝露(当時の基準では10ppm以下)でも脳・心の循環器系疾患のリスクを高めると結論しました。事実上の著者等の主張を追認したことになります。
著者の二硫化炭素中毒とのかかわりは韓国での被災者救済にも広がることになりました。日本から戦後の国家賠償の一環として有料で輸出された中古のレーヨン設備が、二硫化炭素中毒を多発させていました。まさに本書は、専門の深みを追求した著者の全人性的取り組みの記録です。
『いのちの証言・二硫化炭素中毒―ラマツィーニ、現代によみがえれ』
吉中丈志(公益社団法人京都保健会京都民医連中央病院院長)
かもがわ出版、2016年9月 1,200円(税込1,296円)