訃報 渡邉元治先生がご逝去
元京都府保険医協会理事の渡邉元治先生(81歳、西陣)が、3月8日にご逝去されました。渡邉先生は、1979年〜94年度まで京都府保険医協会理事をされ、長きにわたり協会の政策活動に携わっていただきました。先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
楽天的な革命家 渡邉元治先生の死を悼む
津田 光夫(乙訓)
95年の秋ごろだっただろうか、脳梗塞から復帰した先輩を囲んで小宴がもたれた。そう、先生は信州大学医学部の大先輩に当たる。元治先生は、終始和やかな雰囲気ながら、病気の怖さと、医療復帰への意欲、そして生涯続けてこられた被爆者支援の意義、反核運動の大切さなど、やや不自由な言葉で語られた。それに対して、京都社保協(社会保障推進協議会)の代表を継ぐ私と、家業を継ぐ賢治先生とが、それぞれ元治先生を挟む位置から、これからの運動への思い、そして渡邉医院への決意を語ったのも記憶に新しい。
先生の手により“痔”を治療してもらった仲間は京都府内、あるいは全国に四桁は下らない。さらに代々続く先祖まで数えると、その数は天文学的になるだろう。京都の開業医たちは、そうして独特の医療文化を育ててきた。府市民の医療への願いと、開業医たちが肩を組んで要求実現に向けて運動する保険医協会の理事を永く続けられたのも、楽天的で温和な笑顔と、間違ったことへの怒りを決して譲らず口角泡を飛ばす先生の姿に、医者の良心を見たファンが多かったからであろう。
学生時代の私は、大学で確かに先生に教えられた思い出があるが、講義の内容は思い出せない。京都に来てから某診療所の夜診で、隣で外科診療やっていた先生に呼ばれた。内科でなじみの老婆が横たわっており、石榴のように弾けた肛門がんをさらしていた。全身を診ることの大切さを後輩に改めて教えてくれたその夜のシーンも決して忘れられない。
患者のみならず、その生活背景にまで目を凝らして、世の不合理に立ち向かう大医としてあろうとした先生の生き方を、多くの医師たちが引き継いでゆきます。
安らかにお休み下さい。
合掌