訃報/豊田忠昭先生がご逝去
元京都府保険医協会副理事長の豊田忠昭先生(83歳、上東)が、2月27日にご逝去されました。豊田先生は保険医協会において1981年6月から理事、87年から92年5月まで副理事長を歴任され、主に政策関係で活躍されました。先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
豊田忠昭先生との思い出 北小路博央(北)
平成22年3月2日、豊田忠昭先生のご訃報に接した。数年前より体調を崩しておられたことはお聞きしてはいたが、私にとっては突然の訃報であった。
豊田先生は京都府立医大で私の1年先輩であられるが、在学中の接点はなかった。交流が始まったのは先生が昭和56年、京都府保険医協会の理事に入られてからである。堂々たる巨体のわりにいささかのはにかみを交えたる温容に、昭和47年から理事をつとめていた私は多少先輩面をしてお話する機会が多かった。
豊田先生は、よくいえば豪放磊落、言い換えれば多少破天荒な面があり、何を言っても受け入れてもらえる気安さもあって、親しい理事の間では「豊田はん」で通っていた。
豊田はんは斗酒なお辞せず、麻雀はセミプロクラスという半面もあり、夜の会合の後には決まって麻雀に誘われ、しばしば豊田邸で卓を囲むこと深夜に及び、令夫人には随分ご迷惑をかけたことと思う。豊田はんの雀風は豪快そのもので大勝しては大杯をあふるというド迫力、私の麻雀は「大勝はないが大敗はしない」という堅実派で豊田はんに「アンタ、(彼は相手を誰でもそうよんだ)めったに大負けせんな。しぶといな」と言われたこともある。
昭和62年豊田はんは政策担当副理事長に就任され、私と仕事の上の交流が深まった。お酒と麻雀だけでなく、各種の会合にご一緒し、しばしば新聞への投稿もお願いした。豊田はんの車には助手席まで協会の資料が山積みされており、新聞の原稿もなかなか鋭いところをついていて、「よく呑み、よく遊び、よく学ぶ」人なのだと感心したこともある。
3月某日、御仏前に香を焚く機会があり、御遺影の温容を見てお互い言いたいことを言った十数年を思い出した。
近いうちに、雲の上のどこかであの温容と毒舌に再会することになろうが、豊田はん、それまでゆっくり一服して下さい。合掌