見つめ直そうWork Health(3)  PDF

見つめ直そうWork Health(3)

 
吉中 丈志(中京西部)
 
開業医の力
 
 ある慢性二硫化炭素中毒の患者(53歳)が「時計の絵を書いて下さい」と指示されて書いたのがこれである。
 現在では高次脳機能障害と呼ばれている。40歳代後半には、記銘力と計算力が低下し、円滑に動きにくくなって作業能率が低下し、50歳ごろには、指示された作業を忘れるなど仕事上のトラブルが多発するようになる。やがて職場でも失禁するようになり、好きだった釣りやパチンコに行かなくなって家でゴロゴロするようになった。発症時期が定めにくく緩徐に進行している。
 私が初めて患者に出会った頃、当時勤務していた上京病院で西陣医師会の山田伸彦先生(元会長)が神経内科の外来診療をされていた。学究肌で誠実な人柄で哲学にも造詣が深い先生だった。学生時代からお世話になった先生だ。神経内科が専門で脳循環について研究されていた。当時はCTが普及し始めたばかりで画像の質はよくなかったが、側脳室前角、後角や周辺に見られる低吸収域と認知症症状に関連があることに気づかれ、京都大学でその解明に取り組んでおられた。今ではラクナ梗塞と呼ばれるが脳の微小血管の血流不全を「第四の脳卒中」として発表された最初の人である。血小板凝集能に着目され薬物治療の可能性も探られていた。抗血小板療法のさきがけと言ってもよい。相談を持ちかけたところ、患者さんのためならとわざわざ宇治まで足を運んで一緒に診察をして下さった。
 ある患者のCT画像は上のようなものであった。その下に後日撮影したMRI画像を提示する。
 臨床像とCT所見から病態として脳循環の低下が疑われると考えられた。山田伸彦先生は研究室でRIを利用した脳循環測定をして下さり、黄檗で出会った患者は3人とも脳血流が低下していることを明らかにすることができた。
 熊本県八代市に興国人絹パルプという会社があり戦前からレーヨンを造っていた。この工場で慢性二硫化炭素中毒症が起きていることが熊本民医連の平田宗男医師らによって明らかにされたのは1960年代のことであった。熊本大学医学部精神科の協力もあり脳動脈硬化症が目立つことが知られていたが、実際に脳循環が低下していることを明らかにしたのはこれが初めてだった。ひとえに山田伸彦先生の業績である。これによって病態の解明が大きく進み、原因不明の病気として人知れず苦悩していた患者と家族に光明が差すことになった。
 国民皆保険のもとで世界でも優れた日本の医療を実現したのは、大学で専門分野を修めた開業医の存在が大きいと言われてきた。実体験として山田伸彦先生から私はそのことを学んだのだと思う。

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