見つめ直そうWork Health(24)  PDF

見つめ直そうWork Health(24)

病院、研究所、福祉館ができた

吉中 丈志(中京西部)

 源進レーヨンの二硫化炭素中毒症の運動は個別職業病の運動であったが、人医協に代表される医師運動と結びついてダイナミックに展開した。この時期、労働者側では産業災害労働者協議会(1987年)が新たに結成され、医療分野では、健康社会のための歯科医師会(健歯 ・89年)、健康社会実現のための薬師(健薬・90年)、浄い医療実現のための青年韓医師会(青韓)などが相次いで結成された。全土に広がった韓国の民主化闘争が産み落とした相互作用と言ってよいだろう。

 劣悪な条件下で働く労働者たちは、常に事故や産災の危険にさらされていると実感するようになった。このため、労働条件の改善を求め、独裁政治と弾圧に反発する流れは一気に拡大し、労働組合の力が飛躍的に強まった。こうして、被災者や労働組合と専門家団体との連帯を進めようという声が強まり、「労働と健康研究会」(労健研・89年)が結成された。水銀中毒で亡くなった文松勉少年の命日にちなんで、毎年7月を「産災追放の日」に定めて産業安全保健法の改正運動を進め、産災予防基金と産業安全保健委員会の設置を政府に認めさせた。「知る権利」「参与する権利」、危険な作業を「拒む権利」を掲げて各地で公聴会を開いて、運動は韓国全土に広がった。また、独自に全国的な調査や相談活動が始まったことがこの時期の特徴である。二硫化炭素、トリクロロエチレン、トルエン、水銀、カドミウム、クロムなどの中毒、塵肺などへの対策が労働現場で取り組まれた。

 韓国労働組合運動のセンターである全国労働組合協議会(全労協・全国民主労働組合総連合の前身)がこの中で生まれている。全労協は1991年頃から産災の補償要求にとどまらず、積極的に予防の講究へ向かった。現代グループの自動車や造船部門、浦項製鉄などで健診と作業環境測定などを実施し、騒音性難聴、塵肺、溶接におけるマンガン中毒、鉛中毒(韓国通信)、有機溶剤(LG電子部品)、反復作業工程(同電話交換)などでも同様の調査が行われた。これに基づいて専門家は新しい健診方法と診断基準を作成し、「予防の講究」に寄与した。

 韓国の労働者の健康を守る運動は、1999年に大きな飛躍をみる。産災追放運動連合の結成と源進総合センター(設置母体は同職業病管理財団・93年)の設立である。「労働者が健康に、そして安全に働く権利は、最も基本的な人権として保障されなければならない。労働者はこの社会をつくり、維持し、更新させる原動力である」と前者の設立宣言にその精神がうたわれている。

 源進職業病管理財団は、支払われた災害慰労金の管理をするために設立されたが、補償は目的のひとつに過ぎなかった。職業病患者の自活を支援する活動と職業病の治療、研究を進める病院の設置の二つが重要であった。それが、源進総合センターとして実現したのである。労働者が専門家と協力して、自ら医療と福祉サービスを提供する施設をつくったのは、韓国の歴史上初めてのことだと言ってよい。朴賢緒理事長の説明には「2000人の祝福と期待によって病院、研究所、福祉館からなるセンターは船出した」とある。

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