見つめ直そうWork Health(2)  PDF

見つめ直そうWork Health(2)

 
吉中 丈志(中京西部)
 
宇治での邂逅
 
 宇治市に黄檗というところがある。宇治川の右岸の地域で、京阪宇治線とJR奈良線の駅がある。地名は黄檗宗という禅宗の本山である黄檗山萬福寺に由来する。1983年の暮れ、薄暗い街灯に照らされた坂道を上って黄檗地区の公会堂に着いた。ちらちらと粉雪が舞っていたような記憶がある。同行したのは、当時私が勤めていた上京病院の看護師と事務職員数名だった。暖房の準備をしながら座布団をひいて待った。やがて、玄関の硝子戸が控えめに引かれ、労務服を着た3人の男が人目を避けるようにして部屋に入ってきた。ユニチカの宇治工場で働いている労働者だった。
 ぎこちない動作、聞き取りにくい言葉、病歴を聞くのにひどく時間がかかる。うまく歩けないNさんには、体の不自由さにもかかわらず不釣り合いな笑顔があった。麻痺があるAさんには、どこか切迫しているところがあった。うまくしゃべれないMさんは、こんな病気になってしまい息子にキャッチボールをしてやれなかった、懸命に無念の話をつないだ。わずかな暖のなかで、どこか空虚な表情が寒い部屋を満たしていた。みんな40歳代、年齢を聞いて無言で驚いた。とてもそうは見えなかった。これが私と慢性二硫化炭素中毒症の患者さんたちとの出会いだった。
 レーヨンは1918年に帝国人造絹糸(現帝人)が米沢で生産を始めた。製造過程で二硫化炭素(以下CS2)を溶媒として使う。繊維をまきとる紡糸工程ではCS2が気化するため、労働者はこれを吸入してしまう。これがCS2中毒だ。 
 CS2が高濃度だと急性中毒、亜急性中毒が起きる。アルコールやシンナー中毒のように酩酊状態や精神症状が特徴だ。戦前から知られ、労働者の間では「ガス目」に慣れたら一人前とも言われていた。戦後、労働組合の運動もあって対策が取られた。ところがより低濃度のCS2による慢性中毒の対策は遅れた。低濃度暴露に10年から20年さらされて発症する。脳血管障害による巣症状をきたすだけでなく、錐体外路徴候、高次脳機能障害、末梢神経障害などが緩徐に進行する。職場を離れても改善しない。
 3人は農家の二男か三男であった。多くがそうであったように就職のため都会に出てきた。仕事もまじめで、やがて家庭を築いた。しかし、子供の手が離れないうちにこの病気に侵されたのである。「さて、どう診断にアプローチするか。一人ではやりおおせない。任を果たすには専門家の力を借りる必要がある」。患者の顔を思い出しながら帰路の車中で考えていた。

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