見つめ直そう Work Health(23)  PDF

見つめ直そう Work Health(23)

人道主義実践医師協議会の成立

吉中 丈志(中京西部)

 韓国の軍事独裁政権は、1987年の民主化運動によって根こそぎ揺るがされた。産災に苦しむ労働者の運動を触発し、それらの運動へ医療人の参加をもたらした過程でもあった。まともな産災統計が集計されたのは、この時期からであった。87年から10年間で産災災害者数は111万に上り2万7000人が死亡した。年間死亡者数は87年比で、1・5倍に増えている(産災追放連合提供の資料)。病気としては、80年代末までは塵肺と有機溶剤や重金属の中毒、90年代に入ってからは過労死、頚肩腕障害、振動病、VDT症候群、ストレス問題などへと広がっていった。このような経過を見ると、日本の縮図のような気がしてくるが、労災職業病の発生だけでなくそれに対する労働者の運動も、また海峡を挟んで響き合っているように見える。

 軍事独裁下にあった70年代から、医学生などによる「都市産業宣教」運動や貧困者に対する診療活動が、すでに始まっていたという。87年4月13日、137人の医師が「護憲撤廃」を掲げて、民主化運動に立ち上がる。朴正煕大統領の軍事独裁体制を正当化する「維新憲法」を、全斗煥政権がそのまま守り続けようとしたため、「護憲」を撤廃せよという意味のスローガンになったのである。この医師たちが、「仁術済世」の精神で労働者や貧困者のために実践奉仕することを目的に、人道主義実践医師協議会(人医協)を結成した。87年11月21日に創立大会を開いている。

 創立時から共同代表制をとり、企画局、組織局、事業局、診療部、情報通信部、編集部を置き、診療相談、人権などの特別委員会も持っていた。会員数は創立時187人だったが、99年には1150人(韓国医師の2%)に拡大した。ソウル、釜山、大邱、光州、大田などに全国の都市に広がっている。人医協のメンバーはソウルに舎堂医院(院長 金鐘九)、九老医院(同 車聖昊)、聖水医院(同 梁吉承)、城東住民医院(同 伊汝雲)などを開設した。深刻な労働者の健康問題に対処するためには医療機関が必要だと考えるようになり、医療人と市民が基金を拠出してつくった例が多く、貧しい人たちから信頼されていた。基督教医療人協会が設立した平和医院(後に医療生活協同組合が運営)などもあり、「仁術済世」の理念を掲げた医療運動は、人医協などとお互いに連携をしながら大きく広がった。新聞青年医師グループ(中道派)などとの連帯事業も行われたが、体制派の大韓医師協会からは敬遠されてきたという。

 人医協は医療奉仕活動を行いながら、医療にかかわる人権問題や民主化運動にも取り組んできたところに大きな特徴がある。源進労働者の闘争に参加するだけでなく、ソウル郊外の貯炭場付近住民の健康診断と疫学調査、国家保安法による拷問死(韓国版治安維持法、現在まで廃止されていない)の法医学調査、霊光原子力発電所近隣住民健康調査、米軍基地周辺の騒音調査など、精力的な活動を行っている。

 99年、私は当時の人医協共同代表のメンバーとソウルで初めて会った。お互いに素性がわからないまま話が始まったが、困難にある人々に寄せる想いが共鳴し、激励と連帯感に満ちた交流になった。韓国の民主化に向けた彼らの強い意志がしっかり見つめる眼に表れていた。2013年協会主催の韓国医療視察の際に話を聞いた韓国保健医療団体連合政策室長の禹錫均先生はその中の一人である。

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