見つめ直そう Work Health(14)/吉中 丈志(中京西部)  PDF

見つめ直そう Work Health(14)/吉中 丈志(中京西部)

アカデミアの乖離

 これまで紹介した韓国の源進レーヨンはウォンジン・レーヨンと読む。寺前議員が韓国で二硫化炭素中毒が、発生していることを知ったというシンポジウムは「レーヨン工場における二硫化炭素中毒に関する全国シンポジウム」のことである。第1回目は1991年10月31日に倉敷市で開催された。実行委員長は水島協同病院(当時)の道端達也医師であった。「病気を生活と労働の場から捉えるということは当たり前のことなのだが、二硫化炭素中毒が見逃され、何か変な脳卒中とか奇病とか扱われてきた。それに対し職場の労働者が『おかしい!』と感じ」たことが契機になって取り組まれてきたが、それを交流し医学的な到達点を明らかにすることがシンポジウムの目的だと述べている。
 患者と家族、労働者、弁護士など200人余りの参加があった。医学的には、病態の解明と労災認定基準の改定、治療法の検討、早期発見の方法と検診のあり方を討論した。霧生孝弘医師(水島協同病院・当時)が二硫化炭素の体内動態と代謝について、樺島啓吉医師(熊本県菊陽病院・当時)が八代の事例を総括した全体像、私は宇治の事例検討からMRI像と脳循環について報告した。
 この時私は、シンポジウムに参加した地元の紡績工場(当時)の労働者を診察した。臨床症状は慢性二硫化炭素中毒に合致すものであり、眼底検査やMRIの撮影を行えば労災申請が可能だと判断した。しかし、会社に弓を引くことはできないという逡巡が強く、結局そのままになってしまった。
 シンポジウムでは、「韓国でも日本から生産設備を購入してレーヨンの製造を開始した企業(ウォンジン・レーヨン)で55人の労働者が職業病の認定を受け(うち11人が死亡)、さらに149人が申請中という状況である」と報告された。韓国紙ハンギョレ新聞が、その年の4月24日から『「産災王国」源信レーヨン 現職1万3千名、職業病如何で争点化』などと連続して報じたことによる。
 樺島医師は直後の11月に訪韓して患者の検診に立ち会い、八代の場合とまったく同じであることを確認した。
 私は翌1992年の5月、韓日中産業保健学術集談会に参加するために慶州を訪れた。初めての訪韓だった。「お互い親しい同学の集まりとして、両国が抱えている懸案の問題を、膝を交えて話し合う」ことを目的に1984年(ソウル)に始まった会合である。日本側初代事務局を乾修然氏(京都工場保健会名誉所長)が務められた。私が参加したのは第7回目で、テーマは「職業病、健康診断と環境測定の精度管理、中小企業の健康管理」であった。中国の研究者が初めて参加し「中国の職業保健事業」(劉 世傑 氏)と題する記念講演を行った。ウォンジン・レーヨンの二硫化炭素中毒が話題になるかと期待したが、結局議論の俎上に上ることはなく、レセプションで韓国の教授と話してみたが、情報は得られなかった。医学アカデミアと現実の病気の乖離が、強く私の胸に刻み込まれた。

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