裁判事例に学ぶ(20)身体・髪膚はこれを父母に受く/敢えて毀傷せざるは孝の始めなり
有効で安全な医療のみを提供・享受したいのは、医療従事者・患者の両者にとって共通の願いである。しかし、医療は侵襲的な上に不確定性を伴い、時間的な経過を顧みると当初の予定や期待に反する方向へ変化して悪しき結果が生じることもある。「こんな不良な結果になるとあらかじめ判っていたら、そんな検査や治療は受けなかった。事前の説明不足だ、騙された! 納得できる原因を挙げて、誠意を尽せ、損害を補償せよ!」と苦情を聞かねばならぬこともある。良好な結果に終止すれば、「終りよければ全てよし」でハッピーなのに、まさか自分にそんな不運なことが起ころうとは悔しい限りと心も痛み、あの時にこうしておいてくれれば良かったのに、と人を責める方向にも心が動く。もちろん、危険性への勘が働き恐怖心が頭をもたげたなら、病態が安定的であれば手遅れにならぬ期限で、より保存的な治療で回復を待ちつつ、睡眠・栄養・運動その他に邁進して生活を整え、生体の恒常性や自然治癒力の向上に賭けてみようとの消極的な方向も孝行の一環と思えば一策であろう。もっとも、待機中での急変にどう対応できるか否かの準備の問題は残るが。
読者から質問があった。
問3:最近の医療事故の訴訟では、医師に対して医療過誤との判断の厳しい事例が増加しているのではなかろうか? 事後の検討を経て傷病の結果も分かり原因も推測できた後から、事前にその場でこれとは逆の判断・行動をするよう注意すれば不良なことは起こらなかった筈なのにと責められ非難されているようにも思えるがどうか?
回答3:医事関連訴訟の認容・棄却・和解などの率を最高裁判所の統計から見ると、必ずしも医療機関側が多く敗訴している訳ではありません。しかし、医師の過失が認定され医療機関側が敗訴した事例を見ると、厳しさが感じられます。不法行為責任で損害賠償が課せられる場合は、「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」(民法709条)を根拠条文に、裁判所は医師等の行為者(加害者)に過失を認定して、責任を課す訳です。それには、どのように悪しき結果が生じたのか、その原因は何かとレトロスペクティブに問い、どうすればプロスペクティブに結果回避可能か問い、医師はなぜそのような行為を採る義務を怠ったか、について当事者提出の主張・証拠に基づき事実認定し、評価されます。
また、結果回避できるには、その方策・技術が必要ですが、事前には、悪しき結果が生じる危険性がどの程度に予見できるか(予見可能性)の把握が必要です。現場の診療実務においてはプロスペクティブに、診断では各々の鑑別診断項目に生じる確率に依存して、抽象的かつ不確定で同時多種の決定はできず、順次の選考対応に揺らぎも生じます。治療には自然治癒力とその向上を目的に実施された処置の効果がその後の経過に従い常に優・良・可のみではなく予期せぬ不可のものも生じます。特に裁判ではそれらの現実を、医師・医療機関が代理人弁護士と協力して裁判官に対し説得的に、実証的かつ論証的に大いに主張する必要がありましょう(「医師・医療機関の損害賠償責任の基準について」年報医事法学24号2009年29頁参照)。
(文責・宇田憲司)
(おわり)