裁判事例に学ぶ医療事故の防止(5)

裁判事例に学ぶ医療事故の防止(5)

消毒剤の誤注入で患者死亡― 注射器の目的外使用が危険

 平成11年2月10日都立広尾病院で、慢性関節リウマチの58歳女性は左中指滑膜切除術を受け、翌11日抗生剤の点滴静注後にヘパリンNa生理食塩水を注入し凝固防止する「ヘパロック」を受けた。2分後「胸が熱い」と訴え、10分後は顔面蒼白で「息苦しい」と訴え、血圧198/78、心電図はV1でST上昇、V4で下降を示した。血管確保に維持液が点滴静注された。看護師は、消毒用に別の注射器内に用意した20%ヒビテングルコネート(R)10mlが誤注射された可能性に気付いたが、既に回路内に残留の全量が流入していた。15分後に急変し救急蘇生されたが、1時間後に死亡した。主治医は右前腕に血管が紫色に浮き出る外表の異状に気付いた。

 院内の検討会議では、ミスは明確だが、心筋梗塞の可能性も否定できず、遺族から病理解剖の承諾は得たが、異状が明白なら法に則り警察への届出(医師法21条)が必要と院長は結論した。その旨、都衛生局に電話したが、参事の到着まで猶予を求められた。会議が再開され、参事は、届出は先例がなく、遺族の信用がなければ届出や監察医務院での解剖も必要だが、「職員を売る」ことにもならぬよう、承諾もあり死因解明の意向に沿いまず病理解剖をしては? との助言で、当初の方針が変更された。病理学助教授に依頼し、右手前腕静脈血栓症、急性肺血栓塞栓症(PTE)で溶血状態も伴い、心筋梗塞や動脈解離症の所見なく、死因は点滴関連のPTEと病理診断された。

 遺族には、事故死の可能性を告げ、22日死因の特定を依頼する形で警察に届け出た。3月11日付け保険会社宛て診断書に、主治医は院長の意見を尋ね、「病死または自然死」に○印した。その後、血液から消毒剤の分解産物が検出され、都は謝罪し、遺族は提訴した。

 裁判所は、死亡につき都に5852万円の賠償を命じた。また、都には信義則上、診療契約に付随して具体的状況に応じ必要かつ可能な限度で死因を解明し遺族に説明する義務があると認めた。警察届出の懈怠を死因解明義務違反、診断書の「病死」は虚偽で説明義務違反として、都と連帯して院長に100万円、主治医に50万円、参事の助言義務違反には使用者の都に25万円を慰謝料として支払いを命じた(東京地判平16・1・30、判時1861・3、判タ1194・243)。

 刑事では、看護師には業務上過失致死で有罪(執行猶予付)(東京地判平12・12・27、判時1771・168)、診療中の入院患者であっても診療中の傷病以外の原因で死亡した疑いのある異状が認められるときは、死体を検案した医師には医師法21条の届出を要し、同違反で主治医・病院長(共謀)は有罪(執行猶予付)、都参事は無罪、「病死」との死亡診断書記載には虚偽公文書作成罪が成立するとされた(東京地判平13・8・30、判時1771・156、判タ1153・99)。上告審では、検案した医師が業務上過失致死等の罪責を問われるおそれがある場合も届出義務を負い、憲法38条1項(黙秘権)に違反しないとされた(最判平16・4・13、判時1861・140、判タ1153・95)。

 (同ニュース2006・9No.89より、文責・宇田憲司)

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