裁判事例に学ぶ医事紛争の防止(20) 最終回
宇田憲司
積極的安楽死は慈悲殺と評価される
1998年11月2日夕刻、58歳男性が気管支喘息の重積発作から心肺停止し、川崎市の某病院に運ばれた。救急蘇生され心拍は回復し瞳孔もほぼ正常に戻り、人工呼吸器が装着された。その後、自発呼吸が回復し人工呼吸は解除されたが、低酸素脳症による昏睡状態(JCS200〜300)を持続し、気管内チューブが留置された。担当の女医48歳は、脳死状態と判断し、安定して自宅療養となっても意識なく点滴など栄養補給をするだけの状態では、それは患者には被害と考えていた。医師は抜管(延命治療の中止)しての看取りを提案した。しかし、それが自然死への誘導(尊厳死)を意味すると家族に理解されたものと誤解していた。16日午後6時頃、集まった家族の見守りの中で抜管したが、予期に反して苦しげな呼吸状態となり精神安定剤を投与したが改善せず、7時頃、准看護師に筋弛緩剤(ミオブロック3アンプル)を静注させた(積極的安楽死ないし慈悲殺)。7時11分、呼吸筋弛緩に基づく窒息で死亡した。医師は、02年12月4日殺人罪で逮捕された。
地裁では、末期医療における治療中止は、生命は尊貴なものと評価したうえ東海大学安楽死事件判決(横浜地判平7・3・8、判例時報1530号28頁)を踏まえ、患者の自己決定の尊重と医学的判断に基づく治療義務の限界を根拠に認められるとされた。その要件は、a回復不可能で死期が切迫しており、b患者本人の意思(真意)が確認できる場合、ただし、事前の意思の記録(リビング・ウイル等)や同居家族など患者の生き方・考え方をよく知る者による推測を手がかりとし、不明であれば「疑わしきは生命の利益に」する、とされた。c治療義務の限界は、医師が可能な限りの適切な治療を尽くし医学的に有効な治療が限界に達した状況とされた。本件においては、死期の切迫はなく、家族への説明不足から本人意思の調査不十分で、昏睡や植物状態からの回復を目標に為すべき治療があった筈とされ、不適切で許される一線を逸脱した医療行為とされ、殺人罪で懲役3年執行猶予5年の判決が言い渡された(横浜地判平17・3・25、判例時報1909号130頁、ニュース84号参照)。
控訴審では、家族の要請がなかったとする判断には合理的な疑いが残り、家族の意思の確認を怠ったとする第一審の事実認定を誤りとし、治療中止について法的規範も医療倫理も確立されていない状況で家族からの要請に決断を迫られたもので、その決断を事後的に非難するのは酷な面もあるとして情状を酌み、第一審判決を破棄して、懲役1年6月執行猶与3年、原審および当審の訴訟費用免除と判決した。尊厳死について根本的な解決には、法律かガイドラインの策定が必要で、司法判断で抜本的解決を図る問題ではないとされた(東京高判平19・2・28、判例タイムズ1237号153頁)。上告審では、気管内チューブの抜管行為は法律上許される治療中止に当たらず、抜管とミオブロックの投与行為を併せ殺人行為を構成するとの原判断を正当とし、棄却した(最三判平21・12・7、刑集63巻11号1899頁・判例時報2066号159頁)。
終末期医療に対する適正な方策が求められる(本紙2007年3月5日2576号主張参照)。