被災者の不安と怒りを実感
公害環境視察会で福島へ
政策部会理事 飯田哲夫
11月3・4日、昨年に引き続き保団連公害環境視察会で福島へと向かった。
視察会1日目に開催された講演は二つ。一つはフォトジャーナリストの森住卓氏による、取材を通して見た事故直後の混乱の様子だった。持ってきた線量計の針が振り切れる中、まるで戦地のような現場を被曝の恐怖と戦いながら、それでも起こっている事実を広く伝えるというジャーナリストとしての姿勢に感服した。
二つめは避難者用仮設住宅併設の仮設津島診療所所長の関根医師が講演された。関根氏は事故後、政府や自治体からの正確な情報のない中で、大量の放射線に被曝しながら、患者さんの命と健康を守るために活動してきたことを生々しく伝えられた。結局、不意の災害などの混乱した状態では、人々は近隣の人、医師や看護師などの個人の力に頼るしかないのがこの国の現状だと感じた。
2日目は、仮設診療所の看護師長の方にいろいろ体験談を聴くことができた。ご自身もこの震災のあと家族を亡くすなどいろいろ苦労されながら、避難してきた人々の健康を守るために尽力されていた。この診療所では、1日平均50人前後の患者さんを診療。ホールボディーカウンターも設置される一方で、初めのころはカルテも薬剤情報も検査データもない中、顔見知りの患者さんからなぜ自分の薬を覚えてないのだ、と詰め寄られることも多かったという。
続く仮設住宅の方たちとの懇談では、現地ならではの話が聞けた。グラウンド跡地に240所帯の仮設住宅。診療所を中心にコミュニティーができ、避難した住民たちはまとまって生活していた。ここでの暮らしは寒さ暑さ対策が最大の課題で、最近ようやく落ち着きを見せ始めたとのこと。住民からは「ここは3年が使用期限。また突貫工事で基礎は木材のため長期に使用するには無理がある。また居住スペースが狭く、孫が遊びに来ても泊まっていく場所がない」「生活費は東電から月10万円程度支給されているが、実際にもらっている人は8割程度で、国や東電に対する不信感などから受け取ってない人も2割程度いる」「原発に対する思いはいろいろな意見がある。国や電力会社にうそをつかれたという思いもある。また、現地の住民が大変な思いをしている中での収束宣言に憤りを感じる」という意見もあった。
また、「自分たちのふるさとへの思いは捨てがたい」との発言や、「今でも忘れられないのは、震災直後、救助に来た警察官、自衛隊や役所の職員のみが完全防護服を着ていた。住民は放射能の飛散は一切知らされずにマスクもせず着の身着のままの状態でいた。その風景のいびつさは強く目に焼きついている」等々が語られた。
領土問題を論じる前に、自国で進行している放射線被曝による国民の悲劇をできるだけ食い止める努力をすべきだ。また医療に携わる我々は、それに背を向けてはならないと感じる2日間であった。
講演する森住卓氏
講演を熱心に聴く保団連公害部員