菅直人と菅政権の間 政治家論 その2
第1回の原稿を書き終えた直後、鳩山政権が退陣し、菅直人政権が誕生しました。鳩山政権末期に20%を割っていた内閣支持率は、菅政権になってV字型回復を遂げ、その高支持率を背景に菅政権は、参院選に突入しようとしています。
そこで、連載第2回目の今回は、前回に続いて「政治家論」を、今度は新総理の菅直人を素材に考えてみたいと思います。この稿が読者のみなさんの手に渡るときには参院選の結果も出ていると思いますので、それを念頭に置きながら読んでいただければと思います。
菅直人と、鳩山由紀夫を比べると、政治家個人が果たす役割の皮肉な対比と面白さが浮き彫りになります。鳩山由紀夫は、保守政治家の三世ですし、自民党から出発し、その政治家人生を一貫して保守政治家として歩いてきました。それに対して直人のほうは一世で、婦人運動家・市川房枝を担いで政治活動に入り、その後も社会市民連合、さきがけと、通常の保守政治家のコースではない道をたどってきています。「市民運動から総理へ」が、マニフェストでもくり返されている菅のウリです。
鳩山は、民主党きっての改憲派であり、2005年には『新憲法試案』という改憲草案を発表しているのに対し、菅は、改憲については必ずしも積極的ではありません。構造改革についても菅は、国家戦略室担当の大臣時代に、「反貧困ネットワーク」の湯浅誠を内閣参与にするなど、貧困問題についても関心があるように見えます。こういう2人の政治家としての経歴・資質をみれば、菅政権のほうが少なくとも、構造改革についても、改憲、軍事大国化についても、よりましな政策をとるかに見えます。
ところが、実際には、鳩山政権と菅政権では、およそ、彼らのそうした政治家としての性格とは正反対の役割を果たすであろうと断言できます。それは、この2つの政権のつくられ方、政権を規定する力の違いによります。
鳩山政権は、構造改革による矛盾の爆発、反構造改革、反貧困の運動の力と期待を背に受けて登場しました。鳩山は、その期待と自分を支持してくれた力を自覚せざるを得ず、普天間基地の問題でも、反構造改革、福祉の実現にしても、しばしば保守政党の枠を逸脱しかねない政治を展開せざるをえませんでした。前回みたとおりです。鳩山は、運動に押されて無自覚のうちに、日米同盟見直し、福祉の政治というパンドラの箱を開けてしまったのです。
アメリカや財界は、危機感を強めて強烈な圧力をかけ、鳩山政権の動揺・ジグザグが始まりました。鳩山は、最後まで普天間の国外、県外移転、福祉マニフェスト実現にこだわりましたが、結局屈服し、辺野古移転、福祉マニフェストの削減にも応ずるようになったのです。その結果、鳩山政権は、反構造改革、基地撤去を期待した勤労者や沖縄県民から大きな怒りをかっただけでなく、日米同盟の安定、財政再建による構造改革の推進を望んだ大都市中間層からも不信を受け、アメリカや財界からも見放されて退陣を余儀なくされたのです。
菅政権は、こうした鳩山の「失敗」を償い、民主党政権をふたたび構造改革と日米同盟という保守政党の枠に引き戻すことを期待されて登場した政権です。菅直人自身もそのことを十分自覚して政権の座についたと思われます。鳩山が犯した普天間基地問題の「誤り」を日米合意の枠に収めること、福祉マニフェストの実現を断念し、消費税増税、大企業法人税引き下げを謳うことで構造改革を再び軌道に乗せること、これらを実行することで保守支配層や大都市中間層の支持を回復できると踏んだのです。
所信表明演説でも参院選マニフェストでも、「普天間基地移設問題に関しては、日米合意にもとづいて沖縄県民の負担軽減を図」ると、アメリカの言うなりになることを表明してアメリカを安心させ、また、「福祉バラマキ」のための「財政破綻」を避けるとして消費税の増税に踏み切り、また鳩山政権では言わなかった大企業に対する法人税のさらなる軽減をもいち早くうちだして、小泉政権以来停滞した構造改革路線を鮮明化したのです。当然、民主党が09マニフェストで謳った福祉の政策は、これ以上実現できなくなるどころか、法人税引き下げの代わりに削減にさらされることになります。
もっとも、こうした菅政権の評価には異論が出るかもしれません。あの小沢一郎を切ったではないか、その点だけは評価できるのではないか、と。たしかに、菅政権支持率のV字回復も、小沢支配を「打ち破った」ことが要因の1つとなりました。しかし、菅直人が小沢を切ったことは、政治を前進させるためだけではありません。小沢切りには、2つのねらいがありました。1つは、小沢を切ることで、小沢が頑強に否定してきた消費税増税に路線転換を図り、かつ小沢に代表される「財政出動」路線を否定することです。
第2は、小沢が後ろ盾となってきた社民党、国民新党との連立により、民主党が普天間基地、反構造改革で手を縛られるのを除去することです。案の定、小沢派を一掃した菅政権の人事は、いわば構造改革シフトとでも言うべき布陣となりました。しかも注目すべきことは、菅政権でも小沢が企図した衆参両院の国会議員定数削減、国会の通年国会化など、保守二大政党独裁をつくろうとする方策は、「しっかりと」踏襲しているのです。
こうして、鳩山が国民の運動の力を受けて、その個人的信条とは逆の政治をやらざるを得なくなったのと同じように、アメリカ・財界の巻き返しの力を受けて政権の座に着いた菅政権は、菅がこれまでアピールしてきた姿勢とは真っ向から反する政治をおこなうことは必定です。菅直人と菅政権の 間あいだには、大きな距離があります。「菅政権」は、これから国民が「菅直人」に抱いた期待を次々裏切る政治をおこなうことになります。
では、どうしたらよいのでしょうか。昨年夏に政治が新しい第1歩を踏み出した力を再び思い起こすしかありません。運動の圧力と国民の批判の圧力で、菅政権を再び、軌道修正させることです。
(6月28日記)
クレスコ編集委員会・全日本教職員組合編集
月刊『クレスコ』8月号より転載(大月書店発行)