臨済宗相国寺で文化講座をきく

臨済宗相国寺で文化講座をきく

 協会は11月3日、第6回文化講座「室町時代の都市文化」を臨済宗相国寺で開催、20人が参加した。講師は臨済宗相国寺派宗務総長江上泰山氏。会員の参加記を掲載する

会場となった相国寺(法堂)
会場となった相国寺(法堂)

参加記「室町時代の都市文化」/森島正樹(中京西部)

講演する江上泰山氏
講演する江上泰山氏

 最初に今回の会場である相国寺(しょうこくじ)の呼び方について、“そうこくじ”と読まれる方が割合とよくおられるが、正しくは“しょうこくじ”であること、講師である臨済宗相国寺派宗務総長である江上泰山氏より間違いのないようにとのお願いがありました。相国(しょうこく)とは、もとは左大臣の位であり、国を助ける役職、現在の内閣総理大臣に相当し、平清盛は相国様とも呼ばれていたそうです。相国寺は1382年足利三代将軍義満により創建され、京都五山第二位に列せられております。

 前後に花の御所及び鹿苑寺金閣が建立された時期であり、今の私たちが仮に当時の京の町を洛中洛外図の絵師が如く高いところから見下ろしたとして、大変華やかでにぎわいのある町であっただろうと想像できます。

 江上氏は鹿苑寺金閣にもお勤めされていたことがあったので、鹿苑寺のご説明もいただきました。舎利殿(金閣)第一層は寝殿造で当時は酒盛り、蹴鞠、魚釣り、舟遊びがなされ、第二層は武家造で芸術について語るプライベートな空間、第三層には仏舎利が納められ唐風で親しいものだけで集まり瞑想に耽ったり、茶道の場として使われていたであろう、とのこと。ご存知の方も多いかもしれませんが、地方や海外のお客様をご案内する際に役立つガイド情報も頂戴しました。仏舎利についても、アジア8〜10カ国に分けられたそうですが、仏陀の遺骨もあるが、ガンジス川から採れたルビーやサファイアといった宝石が入ったものもあるそうで、恐らく金閣には後者が納められているのではないだろうか、とのことでした。

 ご講話の後、秋の特別拝観にて狩野光信筆「鳴き龍」の天井絵で有名な法堂と1400年頃創建されたとみられる浴室の見学もいたしました。文化の日にふさわしい高尚なひと時を過ごさせていただき感謝しております。有難うございました。

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