続 記者の視点/医学モデルの弊害
医学・医療は、病気や障害を治そうとする。よくないところに注目して、それを改善しようとする。
あたりまえだ、と医療関係者の多くは感じるだろう。
だが医学モデルは、心身の不調に対する物の見方の一つである。東洋医学では、気血水の循環やバランスの乱れととらえるので、病気の線引きはあいまいだ。障害者福祉では「生活モデル」「社会モデル」が重視されている。
病気や障害が存在するのは事実だから、医学モデルを全面否定するつもりはない。
今回言いたいのは、医学モデルには、いろいろな弱点と弊害があるということだ。
とりあえず列挙してみる。
(1)診断名という属性をもとに、人を画一的に見がちになる。個別性を軽視する。
(2)患者を劣った者、能力の低い者と見てしまう。
(3)治してあげる、助けてあげる、という意識が生じる。
(4)過剰診断に傾き、何でも病気にしてしまう。
(5)うまくいかない原因を個人に求め、社会、環境、状況にあまり目を向けない。
(6)うまく治らない場合、どうするかという答えがない。
(7)マイナス面を軽減・解消しようとして、その人のプラスの面をあまり見ない。
(8)本人や家族に否定的な自己イメージをもたらすことがしばしばある。
以上は、主に精神科領域で考えた場合のものだが、他の診療科でも、あてはまる点がけっこうあるのではないか。
たとえば、パターナリズム(父権的温情主義)や上下関係的な意識は、(2)や(3)から生じることが多い。
医学モデルの発想の枠内にいると、自分の考えや言動が一定の特性を帯びていることを自覚しにくい。それを相対化するのに役立つ考え方として、福祉領域の「生活モデル」「社会モデル」がある。
2001年にWHO(世界保健機関)が採択したICF(国際生活機能分類)は、その人のプラスの面も重視する。活動や社会参加を妨げる障壁は、個人の能力不足ではなく、環境や社会との関係によって生じると見る。わかりやすく言うと、障害者が暮らしにくいとすれば、社会の側に問題があるからだととらえる。
こうした見方はソーシャルワークの視点とも重なる。人のありようは、置かれた状況によって変わる。心身の不調が環境の変化でよくなる場合もある。調子がよくならなくても、患者会をはじめ、新しい出会いや体験があれば、心の持ち方が違ってくる。
もう一つ、注目したいのは「リカバリー」という考え方である。これは精神障害の分野で広まってきた。病気や障害による困難や挫折を経験しても、自分が生きる意味や価値を新たに見いだし、前向きに歩むプロセスを指す。
現代医学でうまく治らない病気・障害はいっぱいある。マイナス面ばかり見ると苦しくなる。たとえよくならなくても、元気が出るか、気分が安らかになればいい。大切なのは健康か病気かではなく、その人の人生なのだから。