続・記者の視点(55)  PDF

続・記者の視点(55)

読売新聞大阪本社編集委員 原 昌平

安倍政権が始めた「社会政策」

 雇用・生活を中心とした社会政策に、安倍政権が本格的に乗り出した。

 アベノミクス第2ステージと称して9月に首相が掲げた「1億総活躍社会」の柱は、(1)強い経済=GDP(国内総生産)を600兆円に増やす(2)子育て支援=国民が希望する出生率を1・8に上げる(3)社会保障=介護のための離職をゼロにする——である。

 とうてい無理な目標だ、実現の具体策が見えない、戦時中のスローガンを思わせる、といった反応が多く、世間の受けはあまりよくないが、筆者は、けっこう高度な政策展開だと感じている。

 首相は、1億総活躍国民会議の初会合で、〈みんなちがって、みんないい〉という金子みすゞの詩を引きながら、「十人十色。それぞれが特色と生きがいを持てる社会を創りたい」と説明した。

 「若者も年寄りも、女性も男性も、障害のある方も、難病を持っている方も、大きな失敗をした人も、みんなが活躍できる社会を創るために、あらゆる制約を取り除いていきたい」とも語った。

 立派な理念であり、誰も反対できないだろう。統制指向という首相のイメージを変える言葉遣いも交えている。

 ベースにあるのは、人口減少に伴って経済力が衰えることへの危機感で、人口と経済の維持が目的のようだが、国民会議のメンバーになったタレントの菊池桃子さんが発言したように、社会からの排除をなくす「ソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)」の政策と読むこともできる。

 11月にまとめた緊急対策では、▽最低賃金を毎年3%上げて全国加重平均で時給1000円を目指す▽低年金者に3万円の一時金を配る▽保育施設の整備目標を50万人分に引き上げ、介護施設を新たに50万人分整備する——といった方針まで打ち出した。

 なぜ今、社会分野の政策を看板に掲げたのか。

 政治的に見ると、世の中の主要議題を安保・憲法・沖縄から、民生・経済へ移す狙いがありそうだ。来年の参院選に向け、この看板は強い。とりわけ雇用や社会保障は、民主・共産・社民などが重視してきた分野であり、お株を奪われる野党は苦しくなる。

 政策面から見ると、経済が好転しない最大の要因が、国民の消費低迷にあり、その背景に低賃金・低年金があるという認識が広がってきたからだろう。それ自体は、正しい判断である。大企業と富裕層が「ため込み」を増やし、大多数の国民の暮らしが厳しい状態では、経済は回らない。

 その一方で、社会保障費の削減、法人税の引き下げ、労働規制の緩和といった新自由主義的な政策を進めることは、まるで矛盾する。

 日本の経済と社会が抱える根本課題を直視すれば、貧困、格差、社会保障が浮かび上がらざるをえない。総活躍を強調するほど、その矛盾は明確になっていくだろう。

 とはいえ、そういう問題理解が、国民にすんなり浸透するかどうかはわからない。

 右派政権が社会政策を進めるのは、必ずしも意外なことではない。ナチスドイツは保健医療や雇用政策に力を入れた。なめてはいけない。

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