続・記者の視点21/ゆるさの効用  PDF

続・記者の視点21

ゆるさの効用

読売新聞大阪本社編集委員 原 昌平

 強いことには害がある。もっと「ゆるさ」を追求したほうがいい。

 とりあえずは、社会的な運動についての話である。

 長い間、社会的な運動にかかわる人々は、力強さを重視してきた。正しいことを強く訴えれば、人はついてくる、賛同者が増えるという考えに立っていた。

 とりわけ1970年代までの左翼運動は、先鋭的であればあるほどカッコよく、そうでない者は「ひよっている」と責められた。その結果、過激さをエスカレートさせたグループは縮小・自滅していったのだが、今でも60代以上の人々には、運動に強さを求める傾向が残っている。

 だが、時代は変わっている。そういう運動や組織のスタイルを見直さなければ、対応できない。

 強いアピールを耳にすると、怖さを感じて引いてしまう人は多い。一般的に人間は「これが正しい」と強く言われると、押しつけられた気がしていやになる。なぜわからないのかと見下げられた感じを受ける。

 「正しい」と確信する側からの一方向の働きかけには、意識の高い者が、意識の低い者を引き上げるという発想が漂っているからだろう。社会的な運動がセクト主義に陥りがちだったのもそのあたりに起因する。

 首相官邸を包囲した反原発デモは10万〜20万という参加者を集めた。原発反対以外の政治的主張や組織のノボリなどを規制し、一点に絞った運動で空前の盛り上がりを生んだ。ツイッターなどのツールの力もあるが、強さを抑えたことが意味を持ったのではないか。

 大阪では、維新の会の地方政治が問われている。その手法や政策に疑問を持つ人々は少なくないし、批判集会も数多く開かれているが、いわゆる活動家的な層以外への幅の広がりはあまり見られない。

 社会の多数を占める「普通の人たち」の意識と行動を変えていくには、「ゆるさ」が必要だと思う。ゆるさとは、寛容である。

 現実を知り、理論的に分析し、理解を深める材料を提供することは欠かせないが、何が正しい考えかは相対化する。正しい考えを伝えるという発想をやめる。

 それぞれの人が思いを語れる場を作ること、率直に疑問を出せること、非難・批判を抑えて双方向で語り合うことを優先したい。

 大事なのは、扇動や動員ではなく、それぞれの人が自分で考えることである。遠回りに見えても、抑制をきかせたていねいな手法が大切だ。

 以上のようなことが、医療・社会保障をめぐる運動や医療現場の実践にそのままあてはまるわけではないが、たとえば患者に接する時に、これが正しいと確信して強すぎるアピールをしていないか。意識してゆるさを心がけると、意外に効用があるかもしれない。

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