続・記者の視点20/競争原理を問い直そう  PDF

続・記者の視点20

競争原理を問い直そう

 中学生の娘の担任が、クラス対抗リレーで優勝しようとハッパをかけている。足の速い生徒は活躍できて気持ちがいい。だが遅い生徒はつらい。全体の足を引っ張る存在として冷たい視線さえ浴びる。

 個人別の競争でも似たことだ。上位にいれば、勝った時の称賛、勝てない時の悔しさは努力の原動力になる。しかし中くらいの人間にとってそれらは縁がない。下位になれば、叱責や非難を受ける。それで発奮する場合もあるかもしれないが、うまくいかない、叱られるといった体験を繰り返すと、無力感が増して自尊感情が下がり、やる気はかえって失せてしまう。

 

 小泉政権時代の貧富の差の拡大で多くの人が懲りたはずなのに、新自由主義がまた勢いを盛り返しているようだ。いくつかの政党の政策集を読んで頭がくらくらした。市場原理、民間称賛、自助努力のオンパレードである。優勝劣敗の競争が社会の活力と成長を生むという考え方に立ち、それを経済だけでなく、労働や教育にも広げている。

 競争原理は普遍的なのか、有効な範囲はどこまでか、副作用はどうか、深く問い直す必要があるのではないか。

 スポーツ、芸術、芸能、科学研究などで「高みをめざす競争」は確かに意味を持つ。企業活動も、消費者の選択にさらされる市場競争は原則としてあるべきだと思う。

 だが、それを個人一般にあてはめ、強化してよいのか。

 第1に前提条件の問題がある。人間には持って生まれた資質、身体能力、家庭環境、障害・病気、居住地といった違いがある。それらを無視して結果のすべてを努力の差とみなすのは不条理であり、ごまかしの競争である。

 第2。競争原理の強化は勝者と敗者の経済的格差を広げることを意味する。とくに問題なのは敗者の不利益を強めることで、貧困の拡大という社会的な困難をもたらす。

 努力してもしなくても待遇は同じという旧ソ連型社会主義モデルは失敗しており、ある程度の差はあってよいだろうが、この日本で、さらに格差の強化が必要だろうか。

 第3にエゴイズム。勝つために手段を選ばない、自分の得になることしかやらないといった風潮が生まれる。

 第4に、マイナス方向の刺激でモチベーションは上がらないのではないか。叱責、左遷、首切りといった転落の恐怖で締め上げ、生き残り競争のストレスを強める手法は、メンタルにこたえる。うつ傾向に陥る人が増える。それで生産性は向上するだろうか。

 第5に他者との比較・他者による評価を物差しにする価値観自体が、苦をもたらす。

 結論としてプラス方向はともかく、マイナス方向の競争原理は弊害が大きいと考える。協力、連帯、正義、貢献、自己実現といった行動原理のほうがはるかに有効なことも多いのではないか。

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