続々漂萍の記 老いて後(19)/谷口 謙(北丹)
府一(1)
ぼくの下宿先は高倉通丸太町下ル坂本町にあり、御所の近所である。また冬の話になるが、下宿を変わって間もなくのことだ。通学はまず御所に入り、御所を斜めに横切って府一の前に出る。道路を横切って右手に小さな郵便局、そこから荒神橋になる。渡り切ってしばらく歩くと大学の基礎医学教室群の門を入った。
昭和19年の終わりか20年の始めか明瞭でないが、やはりこれも寒い時の話である。学校前の道を5、6人の府一の生徒が歩いていた。中の一人がひょこんと立ち止まり、ぼくの方に向かって頭を下げた。驚いたぼくは誰か後方にいるのかと後ろを向いた、誰もいない、こんなことが数日続いた。二度目からぼくも頭を下げたが、某日この話を名簿順がぼくの前になる、新しい知人の竹村国彦に言ったらげらげら笑い、「後ろを見たんだって。阿呆が、そんなことをしたらその女学生怒っとるど。もったいない」と言った。竹村めはやいているのかもしれないな。以後ぼくはより一層深く答礼をした。やがて府一の前の道で生徒たちを見なくなった。動員でどこかの工場に働きに行ったのかもしれない。
その後何カ月か経った後にわかったことだが、口大野村でU夫婦なる老人2人で住んでいる家があった。婆さんの方が先に死亡した。その時、京都に嫁いでいた娘が婆さんの孫を連れて帰って来た。つまり孫娘がたまたま帰宅していたぼくを見かけたのだ。
U爺さんはその後かなり長く一人で生活をしていた。彼が死亡した時、ぼくはもう開業をしていて診療をした。娘がぼくを学校前で見つけた時は、1年か2年生の時ではなかろうか。こんな些細なことを今になっても鮮やかに覚えているのは、全く戦争下で色気のなかった時代のためかもしれない。
※府一とは、京都府立第一高等女学校のこと。京都の才媛が集った。