続々漂萍の記 老いて後/谷口 謙(北丹)(33)
先 輩
杉山平一氏は今でも詩を書き続けていらっしゃる。詩壇の大先輩である。出不精なぼくも数回お出会いしたが、自分から私は松江高校出身だと語られたことがある。何度か本棚を整理していて、旧姓松江高等学校同窓会、同窓会員名簿、昭和48年12月現在、発行日は昭和49年1月1日で、「淞友」発行から丁度1年後である。杉山氏は松江高校11期生で、昭和6年入学、9年卒業。文科甲類で東大文学部美学科卒の学歴である。昭和6年は松江高校が入学試験に数学を廃止したので、全国から受験生が殺到したと聞いているが当時の文部省は文句を言わなかっただろうか。自治自由を誇った最後の時代だったと想像する。ただし、その年限りであったようである。数年前、杉山氏の詩碑が松江市に建立され、氏も出席されたとの記事を何かで読んだ。「淞友」11号に氏の作品が掲載されている。全文写しておこう。
流れ
電車が京都から大阪へ入るとき、1つの大きな河をわたる。大阪を経て、更に神戸へ進むとき、また大きな河を越える。これを別の2つの流れと思う人がよくある。我々の時代の流れに於いてもまた。
大阪から神戸へ入って行くとき、2つの川が東海道線の上を越える。気がつかぬうちに我々は流れを横切っているのである。時代の流れにも、よくこういうことがある。
大阪と神戸の間には、いくつか川の上の停留場がある。橋がそのままプラットフォームになっているのだ。時を待ちながら、時代の流れに真上から立ち会う思いになるのである。
氏は工場を経営されており、それが潰れるという過酷な体験をしておられる。その体験記があり、ぼくも読んだ。「流れ」とはその体験を詩の形にされたとも、読みようによっては取れる。ぼくもと言えばおこがましい。だが詩の道もけわしい。何の納得もなく本紙の詩の選者をさせていただいている。恥ずかしいと思うが、目をつぶって書いている。杉山氏よ、どうかご壮健で。