続々漂萍の記 老いて後(補遺)/谷口 謙(北丹)<37>
本
ゲゲゲの女房、NHK午前8時からの連続テレビ小説を毎日見ている。主人公の出身地、境港、松江地方の、だん、だん、言葉がなつかしい。ぼくにとって松江は聖地なのかもしれない。もう今のぼくの体調では行けそうでないが。ドラマの舞台は昭和30年代だが、ぼくがお金がなくて苦しかったのは20年代である。戦後の混乱はまだ激しかった。ドラマで主人公の女性は貧しくても電燈を切られても、明るく日々を過ごしていく。地方の方言が身に迫る。「だん、だん、おおきに」。
父の死んだ日のことは、今でもありありと覚えている。T病院の2階の病室で意識がなくなり、大きな呼吸を繰り返し、次は小さな呼吸に変わる。ぼくは黙って中腰の形で見守るだけだった。母も付き添いのUさんも、浅虫温泉から馳せかけた姉も並んでいて、父の呼吸が止まったとき、姉が言った。
「謙さん、いい医者になれよ。夜中でも頼まれたら黙って馳せつけるいい医者になれよ」
何回か繰り返しになるが、父の死からぼくの本当の人生が始まった。まだ戦後の混乱のなか、貧に向き合わねばならぬぼくの人生が始まった。涙の出るような有難いご恩情や、弱みにつけこんだ陰惨ないじめや、ぼくはぼくなりの道を行かねばならなかった。何もないところから詩を書き始めた。いや、これはワンポイント置いてからの話である。混乱と困惑のなか、入院する直前に書いたらしい半紙のような一枚が、父の書斎の引き出しから出てきた。院長、外科手術医、看護婦長、運転手(当時T病院には乗用車が一台だけあって、運転する人も免許のある人はだた一人だった。その車が院長の命で父を迎えに来てくれたのである)の各人に金百円ずつ渡すように書いてあった。その場にいた義兄が、おかしいなあ、院長も運転手も同額だなんて、と言ったが、ぼくは無視をして父の遺言の通りお金を渡した。なぜかこんな些細なことをありありと覚えている。父が贔屓にしていた古道具屋があり、某日夜にたまたま帰っていたぼくを訪ねて来た。「坊ちゃん(大きくなっても未だ坊ちゃんだった)、横山大観、橋本関雪なんかの画があれしまへんか、旨いこと言って安値で持っていくものがあるかもしれまへん。用心しなはれ。きっときっと私を呼んで相談してくれなはれ」云々。大観も関雪もなかった。ただいっとき、出口王仁三郎に心酔していたので王仁三郎や、養子の日出麿の書があった。ただ当時では売り物にならなかった。その後、母はときおりその古道具屋の世話になっていたようだ。
父は蔵書家だった。乱読家と言ってもいいかもしれない。ぼくは帰省する毎に高く売れそうな本を持ち帰り、また運送会社から送ったりした。父の残りの衣服やこの書籍類をよく大丸百貨店に持って行った。委託販売をしてくれた。ぼくの大学からインターンの間はこうして賄ったのだった。数々の人の御世話になったが、その最高の人は安田晴、千代子御夫妻だったと思う。その後ずっと賀状の交換はしていたが、今年はなかった。一度お尋ねせねばと思っているが、現在まで御無沙汰をしている。
父没後、60年を越えたが、今でも持ち続けた父の遺した本がある。『寺田寅彦全集(文学編)』『芥川龍之介全集』『森鴎外全集』『大言海』エトセトラ。