続々漂萍の記 老いて後(補遺)/谷口 謙(北丹)  PDF

 続々漂萍の記 老いて後(補遺)/谷口 謙(北丹)<35>

医師会

 平成22年6月7日、月曜日、今日は月1回の新聞休刊日だ。新聞は3種類購読している。ケチな私にはそぐわないが、第一の目的は連載小説を読むことだ。どの新聞も人気作家を並べているが、そうやたらにいい作品を読むことはできない。往時のベスト・セラーズだが「金色夜叉」「宮本武蔵」等々、文学史に残るきわ立った傑作も新聞小説だった。最近は前にもいささか触れたが、津島佑子の「葦舟、飛んだ」も彼女の父、太宰治との関連を考えていささか動揺をした。連載終了後、「連載を終えて」なる文章が新聞紙上に掲載されたが、氏の横顔が太宰のそれとあまりにも似ているのにほほ笑ましく思われた。

 これは私の独断だが、文学とはもともと女性が主流ではないかと思っている。保険医新聞に毎月詩評を書いていたが、女性の方は終わり頃になってさっぱりなくなった。熱心に投稿し続けてくださった三氏には有難く思っているが、女流の書き手のないことは自分の責任と恥ずかしく思っている。

 6月5日、北丹医師会の総会があった。休診後も会員に残していただき、会合にはできるだけ出席しようと思っている。集まったのは17人とのことで、それに京丹後市の市長さんが見えていた。副会長のS先生の御要望で、私が乾杯の音頭を取ることになった。

 「ご命令により乾杯の音頭を取らせていただきます。市長さまをはじめご出席の方々のご健康とご発展を心よりお祈り申し上げます。乾杯!!」

 この時にいろいろな言葉をはさむ人もあるが、私の無能はこれ位のことしか言うことがない。

 左横の会長さんから、私の健康についていろいろ聞き正して貰った。有難く深く感謝するが、「お会いする人から、すべて顔色がよくて元気そうだ、と言って貰っています」と答えることにしている。非礼かもしれないが、私の立場はこう言うより仕方がないのだ。

 右隣には私の出身校の後輩のP先生がいらっしゃった。某病院の院長をしておいでだが、社会医学、思想史等に強い方だ。話のなかでニーチェが出てきた。私はニーチェについては全く暗く、名前だけしか知らない。

 仕方なく西行に話を変えた。西行は自分の文学を貫くため、北面の武士から僧侶になり放浪の旅に出た。彼の生きざまは彼にとり、文学への唯一の生き方だったろうと思う、云々。P氏は西行は桜の花の下、自殺したのではなかろうか、との意見を出された。実は私は西行自殺説は知らなかった。驚いた。

 時間は午後7時を廻った。馳走は全部食べました。酒は飲めません。私は会長さんや周囲の方々にお別れを告げた。午後8時に就寝いたします、と会長さんをはじめ周囲の方々はいっせいにお笑いになった。

 有難うございました。家には老妻が一人で待っています。

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