続々漂萍の記 老いて後(補遺)/谷口 謙(北丹)  PDF

続々漂萍の記 老いて後(補遺)

谷口 謙(北丹)

体格検査

 平成22年4月16日、金曜日。京丹後市立○○小学校に体格検査へ行く。休院中だが淋しいので校医は続けさせていただいている。今年度は今日が初めてである。京都、奈良へ修学旅行があるので、6年生を早々にとのことだった。3クラス、87人。1人病欠なので86人。少年たちに会うのは嬉しかった。検査は例年通り同じことをするのだが、ひときわ目立って大きい男の生徒がいた。身長158センチ、体重58キロ、中肉中背の男性教諭が横に立っていて、「もう間もなく、ぼくを追い越すでしょうねえ」と言って笑った。アトピー性皮膚炎、肘関節内面のみでいずれも軽症が20人、喘息薬服用中が3人。いずれも修学旅行には薬品を持参するとの言。一年生の時、川崎病に罹患し今でも年に1回心臓検査を受けている生徒が1人。さらにもう1人、慢性骨髄性白血病にて京大小児科受診中。現在元気そうで聴診器を当てるだけではもちろん何の所見もない。前に一度書いたかもしれない。大宮町内の開業医が2人きりになり、先輩に中学、ぼくが小学校を引き受けた。あの時は若かったといえばそれまでだが、4・5・6月は走り廻った。

 現在養護の女性教員も古い馴染みになった。てきぱき上手に仕事を組み立てて下さる。聞いてみた。学校保健についていろいろ苦情を述べられる人があるかどうか。教員は少しためらって答えた。「現場に来校される方はありませんが、電話でいろいろ意見をおっしゃる方はあります」

 校長は丁寧だった。現場の保健室に顔を出され、帰りは玄関まで送って下さった。校長の顔を見て、また思い出した。インフルエンザ流行のとき、秋祭と生徒たちの扱い。伝統太刀振り、太鼓たたきの練習と本番の兼ね合い等々苦労されたことと思う。

 ここでまた父のことを思い起こす。父も口大野小学校の校医をしていた。入学式、卒業式には必ず顔を出した。父の体格検査は嫌だった。父の前に立ってお辞儀をせねばならぬ。同級生たちがにやにやしている。ぼくの小学校在学中に何事か知らないが、父が校長と衝突した。父は学校に行かず、毎日何人か数をきめて生徒を来院させ、谷口医院で生徒を診察した。母が父に言った。謙も在学中だし、いい位で我流を止めなさいよ。謙が学校で苛められるかもしれない。こんな発言だったと思う。ぼくは母の袖の下を握って父の顔色を窺っていた。

 ぼくもまた口大野小学校の校医になり、3人の子どもたちの体格検査をした。子どもたちは皆嫌がっていた。ぼくは父のような権威がなかった。また思い出した。父の嫌がった校長の息子さんは宮津中学で2級上だった。学校でただ1人の棒高跳びの選手だったが、最近死亡されたようだ。家の玄関には「学習塾」の看板がかかっていた。

ページの先頭へ