続々漂萍の記 老いて後(補遺)
谷口 謙(北丹)
猥 歌
前回、口大野村助役の娘さんのことに僅か触れた。続けて助役自身のことを書いておこう。父が村長だったとき、Xさんは近村の人で、どんなつてがあったか知らないが助役の職につかれた。ぼくのまだ幼時のことだから、2人の姉も一緒に生活をしていた。姉たちは小学校の高学年か、女学校の下級生だったと思う。開業医で村長となる人は時々あった。村の有力者で、ある程度財産持ち、知名の人であれば、むしろ争って医師を村長に祭り上げたのである。もちろん、村長は1日に1回は最小限役場に顔を出さねばならぬ。父もやはり壮年時代だったから、医業多忙で連日出勤することは不可能ではなかったかと推察する。その代わり助役の人選が大切だったろう。
父はXさんに満腔の信頼を置いていただろうと想像をする。ぼくも子どもながらXさんが拙宅においでになったのを幾らか覚えている。Xさんは中肉中背。服装を整えた紳士だったろうと思っている。父を含め家族一同でなごやかな雰囲気を保っていたと回想する。だがともかく、ぼくは子どもだったから、成人してからの追加想像もあるかもしれない。父は村長を2期務めて辞めた。自然Xさんも辞職をした。今の時点で想像すると、Xさんは農業をしていただろうと想像する。機屋ではなかった。
辞職後もXさんはちょいちょい来訪された。Xさんがお見えになると、父は必ずお酒の準備をさせた。夜でも昼でも。Xさんはお酒が好きなようだった。
某日、午後Xさんが来訪された。父は留守だった。おそらく往診に行っていたのだろう。母はすぐお酒の準備をした。ぼくと姉2人も家にいた。「いやあ、奥さん、いつもどうも」Xさんは独りで酒の肴をつまみ、杯を傾けていた。と、Xさんはあぐらをかき、大声で歌いだした。「一つとせ」で始まって、母の話によると猥歌だったそうだ。1で始まり、10で終わり、さらにまた1より始まる。
横にいた姉2人が喜んで笑いころげ廻る。もちろん、姉たちは歌の内容はわかっていない。ただいつも父と真面目に話している人が、突然大声で歌い出したのが面白く興奮したのだろうと思う。残念ながらぼくにはこの記憶は残っていない。ただ母が何回か、困った、困った、と繰り返すので記憶に残っているのである。
Xさんは亡くなり、奥さんは長生きをされた。ぼくが開業医生活に入ってからも生きておられ、何回か診察をした。息子さんが遠方においでで、時おり帰省されたが、独りで暮らしておられた。現在、京丹後市は長寿の町で、100歳以上の方が53人あると聞いたが、昭和の中頃では未だ珍しかったのではないか。奥さんの死亡された時のことは覚えていない。おそらく息子さんの所で亡くなられたのだろうと思う。