続々漂萍の記 老いて後(補遺)/谷口 謙(北丹)  PDF

続々漂萍の記 老いて後(補遺)/谷口 謙(北丹)

蕪村紙芝居

 たしか今年に入ってからだと思います。日記をつけていないぼくは日時を特定できませんが、宮津市のP女史が、某氏に聞きましたとおっしゃり、訪問されました。Pさんは元小学校の女子教員で、退職後紙芝居を多くの後援者と一緒にやっておられるとのことでした。そして今回は与謝蕪村をテーマにしたい。協力者からぼくのことを聞いて、どうか協力してほしいとのことでした。

 蕪村といえば、懐かしい中年の頃、正確にいえば昭和40年頃、地方史の本を読んでいて蕪村に会いました。蕪村は宝暦4年から7年の間、39歳から42歳の期間、宮津の見性寺にいました。その丹後時代は絵の勉強が主で、詠まれた俳句の数は少ないのですが、〈夏河を超すうれしさよ手に草履〉があります。蕪村の直行性、自己を信ずる迷いのない決断性に、深い感銘を受けました。この川が野田川、はたまた滝山施薬寺前の滝川のような渓流なのか判断がつきませんが、この蕪村の迷いのない直行性にひどく惹かれたのでした。

 P女史には早速にこの話をしました。眠っていた蕪村好きがこの機会に復活すればいい。こんな思いが盛り上がり、P女史のお話に全面的に協力する旨を伝えました。だが、紙芝居といえばまだ幼い頃、当時小学校に入っていたかどうか、前の大野神社の境内で見た記憶があります。見た後、飴をもらいました。10銭か15銭だったか、かわりにお金を払いました。当時の小さな遊びの一つでした。往古の紙芝居が現在、復活しはじめていて、同好の人が増えているとか、長女から話を聞いて、なるほどと思ったりしたのです。当然ですが、P女史は熱心でした。小生の蕪村書もきっちり読んでいて下さいました。開演の日は2012年4月14日ときまり、場所は宮津市宮津会館「歴史の館」3階大会議室、午後2時から3時30分となりました。開会の挨拶を頼まれていたのですが、これに不安がありました。40歳から60歳頃だったと思いますが、依頼を受け蕪村の話をするのは楽しみでした。いくらでも言葉が続き、語ることができました。だが今回は自信がありませんでした。なんとか恥をかかないで、自分の思いを、P女史の意欲を伝えられたらと思いました。

 当日の前夜の天気予報では、雨・風もやや強いとのことでしたが、午後1時過ぎに出発、空は晴れていました。ぼくの自宅から当地まで、おおむね30分の道のりですが、到着し3階の部屋まで昇ると、半分くらいの入りで女性がやや多いように思いました。午後2時、定刻に開演。ぼくは〈夏河を超すうれしさよ手に草履〉蕪村・39〜42歳作、〈が垣根三味線草の花咲ぬ〉65歳作、この2作が開演のときに配られたチラシの中にあったので、両作の解説をして何とか責任を果たすことができました。後の句、三味線草とはぺんぺん草のことで、この作品は蕪村老年のおそらく芸妓小糸への愛の句です。

 P女史は熱演されました。何回かのご経験があり、拍子木をたたいて開演、40分と10分の休憩、再開40分で終わり、大変な力演でした。入場者数100人とありました。

 翌日4月14日の日曜日午後、電話連絡のあと、P女史と絵をお描きになった男性のK氏の2人でお礼に来訪されました。K氏は自分は教職についていない。生来、絵が好きで定年退職後ずっと絵を描き続けている、とおっしゃいました。蕪村の紙芝居の件、もう一度蕪村を読み直してみたい。こんな思いを引き起こす、老残の嬉しい事件でした。(4月15日の京都新聞に会の詳細な記事が掲載されていました。)

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