続々漂萍の記 老いて後(補遺)/谷口 謙(北丹)
東京
谷川雁、四十数年前の有名詩「東京へ行くな」が某詩誌に掲載されているのを久し振りに読んだ。その一部を書き写しておこう。
つまづき こみあげる鉄道のはて
ほしよりもしずかな草刈場で
虚無のからすをおいはらえあさはこわれやすいがらすだから
東京へゆくな ふるさとを創れ
結論から言うと、やや難解な詩だが、東京の中央文化に対応してふるさとの地方文化を創れとの意味だろう。何回もくり返し言うので恥ずかしいが、ぼくは長年にわたり他愛もない詩を書き続けた。言いかえれば同時にこのことはぼくの愚かな誇りでもある。数日前のことだが、ぼくは同業のQ氏と会った。Q氏の父は外科病院を開いておられ、ぼくより20歳くらい年長だろうと思う。非常に熱心な方で、ぼくが休日もなくしゃにむに開業医生活を送っていた頃、ずいぶん無茶な入院をお願いしたことがあった。が、氏は絶対、嫌な顔をされなかった。100%、OKで受け入れて下さった。その後、氏は急性心不全のような症状だったろうと想像するが、診察室で逝去された。御子息、御長男は何回かお会いした。患者氏の連絡事項だったと思うが、端正な顔立ちの方だった。若くてお亡くなりになったと聞いていたが、当日お聞きすると、54歳とのことだった。こんなことがあってお別れのとき、まじまじ見るとQ医師はお父さまによく似ていらっしゃり嬉しかった。先生のご郷里はどこか知らなかった。が、奥さまが東京ご在住と聞いていたから、東京方面の方ではなかったろうか。先生は当地方の病院に勤務され、後に開業された。東京に行くな、東京には帰られず丹後の地で亡くなった。尊敬する先輩である。卒業の学校名は知らない。
谷川雁は地方の文化が創りたかったので、東京に行くなと歌ったのだろう。悲しいが美しい言葉である。少し、いやいや大きく偏屈なのかもしれないが、ぼくは東京に行ったことがないのである。普通だったら小学校か中学の時、修学旅行で行くだろうが、それはなかった。ではそのぼくがなぜ東京に行かなかったかと問われると返事ができない。結論はチャンスがなかったのである。ぼくは無位無冠だし、文学の方でも賞とは無縁だから東京に行くことはなかったのだと言っても返答にはならない。位冠や賞が欲しくなかったと言えば嘘になる。ただ今84歳、恥入るばかりである。
ここまで書いたとき、「松江高校創立90周年記念祭 続々松江春夏秋冬」誌が配達された。松江高校は大正9年(1920)に設立認可されて、今年は90周年、平成22年4月10日にその祝賀会が松江で開催される、とあった。