続々 漂萍の記 老いて後 補遺/谷口 謙(北丹)(49)  PDF

続々 漂萍の記 老いて後 補遺/谷口 謙(北丹)(49)

終章

 黙認されているよう、自分でも思いもよらず駄文を書き続けさせていただいた。顧みて恥ずかしく思わざるを得ない。本質的に保険医新聞は多数の医師の方の新聞である。北丹医師会に属してはいるが、仕事も休んでいるぼくはいつまでも甘えているわけにはいかない。そろそろペンを置く時期であろう。「漂萍の記」を書き始めたのは昭和60年4月5日、自分が60歳の時である。まだまだ元気で己は医療最前線にいると思っていた。自分は愚かな人間で、その現役生活時代がいつまでも続くものと考えていたのだった。田舎医者ながら仕事の話であれば、まだまだ書けると思っていた。雛形の私小説の形で。などと自惚れていたのだが、自分の書いていたのはどこまでも私記であった。素人の駄文である。今省みて恥ずかしく反省している。
 今ペンをとっているのは平成23年1月31日、母の命日は1月17日だったが、その時も丹後地方は大雪にさらされている。亡母の葬儀の日の夜、新築したばかりの裏の離れの庇が折れた。今回は家の倒壊を恐れ、家妻の親戚の者が雪下ろしに来て奮闘してくれた。85歳のぼくは有難く感謝するばかりである。開業と雪は、永年にわたり切り離すことのできぬ相関関係にあった。例の昭和38年の38豪雪、あの時の雪中の峠を越えての徒歩往診は今もって忘れることができない。物心ついてから現在に至るまで、雪はいつもぼくの心身に密着している。保険医新聞の詩欄からお近づきになった門林さんから雪見舞のお電話をいただいた。氏のお住みのところでは雪は舞うだけで地上には積もらぬものらしい。
 何だかんだと言いながら、雪の中で老残の身をかこっているのは、醜い溜め息だろう。老いては消えていくのみ、こんな言葉を噛みしめている。いつだったか志賀直哉の某氏との対談を読んだことがある。「暗夜行路」で盤石の重みを文学の野に残された氏は、87歳の時だったと思うが、何も書けないことをこぼしておられた。若年にして盤石の重みの作品を残されたあと、名声の後の老後とはぼくたちには判断不明の苦しいものかもしれない。幸いにてぼくはいまだ書くことができる。いや書けると信じたい。これは無名の有難さである。何とか散文ではなく、詩でも続けて内々に書いていこうか。発表する、しないは別にして、何とか文学の形式は残したいと念じている。これは愚かな男の愚かな妄想である。
 なお個人的なことだが、ぼくの作品の連載について、いろいろ面倒をみてくださった編集者には心より深くお礼申しあげたく思う。
(おわり)

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