続 記者の視点17
弱い者いじめ社会
読売新聞大阪本社編集委員 原 昌平
東日本大震災のあった1年前は、みんなで助け合おう、困った人には手を差し伸べよう、という雰囲気がこの国にはかなり広がっていた。
それがどうだろう。この殺伐とした状況は。まるで「いじめ社会」である。
特にひどいのは、前回も書いた生活保護バッシング。国会議員が個人をやり玉に挙げたうえ、生活保護全般への攻撃をあおった。テレビの情報番組や週刊誌の多くもそれに乗っかり、無責任な出演者の放言を垂れ流した。ネット上にも生活保護受給者への暴言が飛び交っている。
野田政権は、消費増税への合意を自公両党からとりつける過程で、社会保障の充実どころか、抑制ばかりの法案をこしらえ、強行成立を図っている。どさくさに紛れて、生活保護の締め付けまで付則に潜り込ませている。
気がかりなのは、市民レベルでも「自助」の優先に同調する傾向がみられることだ。高齢者や社会保障を受ける人々を「お荷物」のようにみなす政治やメディアの言説が効いてきたのだろうか。
すさんだ風潮を生んだ土壌の一つはネットだ。「2ちゃんねる」などの掲示板は昔から差別、暴言、右翼排外主義の書き込みだらけだったが、ブログ、ツイッターなどで個人の情報発信がたやすくなったことで拍車がかかった。
差別・暴言を吐く人たちや「ネトウヨ」の実像は必ずしも明らかではないが、他者へのやさしさを持たない人たちがもともと一定の割合で存在するのかもしれない。匿名で書き込みを行い、ほかにも同様の発言があるのを見るとエスカレートする。背景には閉塞感があるのだろうが、社会的弱者や少数者をたたいてストレスを発散させるのは「いじめ」そのものである。
民放テレビの討論・情報番組の影響も大きい。エキセントリックな物言いでも、素人タレントの思いつきでも、視聴率が取れればいいという番組運営が、公共の場での暴言に市民権を与えてしまった。
政治家もそうだ。暴言を繰り返してきた石原慎太郎・東京都知事、品のない言葉で「口撃」を続ける橋下徹・大阪市長。その手法をまね、明らかにネットを意識して生活保護攻撃や排外主義を扇動している国会議員もいる。
それらの結果、いじめ的な暴言や右翼排外主義はネットだけでなく、現実世界にあふれ出てきた。「在日特権を許さない市民の会」のように街頭活動や企業・団体への攻撃を展開するグループもある。
一部の政治家の扇動とそうした行動が結びつけば、言論の自由、思想の自由の萎縮を招き、まさに草の根ファッショになりかねない。
保守・中道・左翼を問わず、良識ある人々の共同が求められる。ただし組織中心の従来型の運動の限界も目に見えている。メディアを舞台にした「空中戦」を含め、無党派・無組織の人々を「人間を大事にする社会づくり」にどうやってひきつけるか。本気で考えないと危ない。