続 記者の視点13/「ハシズム」の底流と対抗軸
読売新聞大阪本社編集委員 原 昌平
橋下徹・大阪市長が政治の台風の目になっている。次の総選挙で「維新の会」が第一党になって首相を握る可能性も十分ある。
橋下氏のスピードと発信力は確かにすさまじい。
ただし確たる思想はなく、国政向けの「船中八策」を含めて、ほとんどが思いつきに近い。小さな政府、競争主義、人権軽視といった傾向はあるが、基本的にはその場で即座に世間うけしそうな風向きを読む。実にテレビ的である。
とはいえ、大阪維新の会を選挙で勝たせてきた要因は個人のキャラクターだけではない。ベースにある有権者の意識は、現状変革への願望と、官僚体制に対する不満だろう。
同様の意識は、小泉首相が郵政民営化を掲げた時の自民党圧勝(2005年)、政権交代を訴えた民主党の大勝(09年)と、過去2回の総選挙でも示されている。けっして大阪だけの特異な現象とはいえない。
現状変革を求めるのは、生活が苦しくなり、様々な競争にさらされてストレスがたまっているからで、それは社会の下の階層にいる人たちほど強い。
「自分たちはしんどいのに、公務員は安定した待遇でけしからん」と思い、いわゆる既得権益たたきに「ざまあみろ」と喝采する。他人の苦しみを見て喜ぶのは健康的な心理とはいえない。
公共の機能、社会政策、統治機構の関係がごっちゃになっていると感じる。
「公」の規模という面では、日本は欧米に比べて公務員が少なく、すでに十分に小さな政府である。
そして生活の苦しさやストレスは、公共の機能を縮小する新自由主義的な社会経済政策に起因する部分が大きいのだが、そのこともあまり理解されていない。
橋下氏が攻撃を仕掛けているのは統治機構である。行政権力が肥大し、透明性に欠け、惰性、保身、利権が多いのは確かだ。それを打破して政治が決定すると主張し、行政トップへの権力集中を進めている。
「選挙に勝った。おれが民意だ。公務員は民意に従え」という選挙至上主義が彼の論法だ。議会に首長与党を作り、職員・教員を条例で締め上げる。敵を次々に設定して口汚く攻撃し、批判者をやりこめるから、物が言いにくくなる。これでは「人治」である。
選挙は総合的な選択であって、すべてを白紙委任したわけではないのだ。
橋下流ポピュリズムに対し、民主主義の危険性を指摘する論者もいるが、筆者はむしろ、民主主義を補強するシステム作りが求められていると考える。独裁批判だけでは弱い。
対抗軸は、観客型ではない「参加型の民主主義」ではないか。政党化された代議制と首長公選制だけでは不備だ。多くの人々は、自分たちの手が届かない所で政治・行政が行われていると感じている。司法はろくに機能していない。住民投票、国民投票はもちろん、行政の意思決定に住民・国民が参加するしくみを考えることが重要だろう。
もう一つは政策。統治制度を変えれば政策が変わるわけではない。生活に安心をもたらす社会経済政策を提示する、まとまった勢力を構築しないといけない。