続 記者の視点/さっさと死なせるのが「尊厳」か  PDF

続 記者の視点/さっさと死なせるのが「尊厳」か

読売新聞大阪本社編集委員 原 昌平

 危なっかしい立法の動きがまたもや出てきた。

 「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」の概要を、超党派の「尊厳死法制化を考える議員連盟」が3月22日にまとめた。通常国会への提案を目指すという。

 内容は、1. 延命措置を行うか否かに関する患者の意思を尊重する、2. 終末期の判定は担当医を除く複数の医師が行う、3. 15歳以上の患者の書面による意思表示があり、家族の拒否がなければ、医師は延命措置の差し控え(中止を含まない)ができる、4. その場合、医師は民事・刑事・行政上の責任を問われない、というものだ。

 あまりにも思索が浅く、現場の医師にとっても有害無益なものだと思う。

 第1に、終末期の尊厳を語るなら、必要な医療の確保とケアの充実が先決だ。人として大切にされ、希望する場所で、十分な緩和ケアと温かい看護・介護を受け、人間的な交流がある。そういう医療・福祉体制は整っているだろうか。その実現に向けた政策は推進されているだろうか。

 まず保障すべきなのは、適切なケアを受ける権利である。それを抜きにして、延命措置を拒む権利が最大の課題のように言うのは、いかがなものか。

 ケアが充実すれば「単なる延命」でも大切な時間と思える可能性があるのだ。

 第2に、自己決定はあやうい。患者や高齢者は介護負担や経済的負担を気にして、家族や社会に迷惑をかけたくないと考えがちだ。自分がお荷物であるように感じて生命維持を拒むとしたら、そんな気持ちで死んでいくとしたら、望ましい最期だろうか。すでに障害者や難病患者から「世間からの無言の圧力が高まる」と懸念する声が出ている。

 第3に、事前の指示は簡単ではない。息苦しければ人工呼吸器や酸素吸入器を用いたほうが楽かもしれないし、栄養不足で空腹を感じるかもしれない。腎臓が衰えて人工透析をしないと尿毒症になる。

 どんな状態になるか、予測は難しいし、医療措置は必ずしも治療、緩和、延命と明確に線引きできない。少なくとも元気なうちに書いた指示書はインフォームド・チョイスにならない。

 大まかな価値観を本人が伝えておくのは方針決定に役立つが、具体的な措置は悩みながら決めるべきで、この法案では、機械的な適用が行われるおそれがある。

 第4に、チーム判断の視点がない。法案は医師が決めるという古い考え方だ。

 第5に、免責の立法をする必要性がない。厚生労働省は2007年5月に「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」を示している。前年に発覚した射水市民病院の人工呼吸器外し事件(不起訴)が医師の独断だったことを踏まえ、患者本人の決定を基本とし、本人意思が確認できない場合は、本人にとって最善の方針は何かを多職種のチームが家族と十分話し合って判断するよう求めた。

 そもそも生命維持の「差し控え」が事件になった例はないし、厚労省の指針に沿って、みんなでよく話し合って決めた方針なら、「中止」を含め、法律実務上、責任を問われるとは考えられない。

 第6に、この法案が成立すると、逆に差し控えの要件を満たさないケースで、医師が法的責任を追及される可能性が出てくる。
 結局は「さっさと死なせる法案」であり、将来は臓器移植法と同様に「本人意思がなくても生命維持を中止できる」という法律への一里塚になりかねない。

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