私たちはどこまで来たのか、どこへ向かっているのか――政治における運動の果たす力と責任  PDF

私たちはどこまで来たのか、どこへ向かっているのか――政治における運動の果たす力と責任

 2010年7月号から始めたこの連載は、今回で最終回です。この連載で伝えたかったことはたくさんありますが、一番言いたかったことは、政治は、決して民衆側が一方的に押しまくられ、あるいは支配層の陰謀によって動くのではなく、支配層の思惑と国民諸階級の意思を代表する運動との攻防の結果であり、時に支配層の思惑を阻みつつ動いているということです。
この連載を始めてからの2年間は民主党政権の時代でしたが、この民主党政権の成立と変節の過程そのものが、支配層と運動側の対峙の産物でした。みなさんは、組合や「九条の会」など、何らかの運動にかかわっておられるでしょうが、時に自分のやっている運動に、一体どんな意味があるのかと疑問に思ったり、徒労感を抱いたりすることも少なくないのではないかと推測します。しかし、実際には私たちの運動は、政治に少なからぬ影響を与えていますし、それだけに、運動の責任も重いということを、あらためて強調しておきたいと思います。
そこで最終回に、民主党政権の成立と変質の過程がいかなる攻防の結果であるかをふり返り、私たちがいま、どんな状況に立ち向かっているかを展望しましょう。

 民主党政権の成立は、1990年代初頭から始まった日本の新自由主義の歴史の中で、第2期の頂点に立つ出来事だったと言えます。
90年代初頭、冷戦の終焉を画期として、既存の自民党政治を右から変えて、自衛隊の海外派兵を求める軍事大国化と多国籍企業の競争力強化をめざす新自由主義改革の時代が始まりました。この新自由主義の時代の第1期は、支配層が、しゃにむに軍事大国化と新自由主義を強行することをめざした時代でした。その第1期は、新自由主義の急進的実行と自衛隊のイラク派兵を強行した小泉政権で頂点を迎えます。
しかしその直後から、新自由主義の第2期が始まります。新自由主義の矛盾の爆発、貧困と格差に反対する運動、改憲をくい止めねばという運動により、新自由主義と軍事大国化の進行が、停滞と手直しを余儀なくされたからです。
第2期をもたらした運動には、いくつかの特徴があることに私は注目しています。第1は、自衛隊の海外派兵と改憲に反対する平和運動が、反新自由主義の運動に先行したことです。「九条の会」の全国的な広がりがこの典型です。「九条の会」は今までの平和運動と異なり、良心的保守の人々をも含む広い結集を追求したこと、全国で7500に及ぶ組織が地域に根ざした運動を展開したことなど、新しい特徴をもった運動を展開しました。このことが2つの影響を与えました。1つは、改憲世論を変え、自公政権の改憲政策に待ったをかけたこと。もう1つは、それまで選挙のたびに自民党に接近していた民主党の憲法政策、安保・防衛政策を逆転させたことです。
平和運動に続いて、反新自由主義の運動も台頭しましたが、ここに第2の特徴があります。反新自由主義の労働運動や社会運動内で、3つの連携が追求されたことです。それは、?反貧困の社会運動と労働運動との連携、?ナショナルセンターを越えた労働組合の連携、そして、?後期高齢者医療制度反対での民主党と共産党、社民党の連携です。これら反新自由主義運動の昂揚は、自民党政権の新自由主義政策にブレーキをかけ、またここでも民主党の政策の変更をうながしました。こうして、運動が民主党を変え、その変わった民主党に国民が期待して、政権交代が起こったのです。鳩山政権が新自由主義第2期の頂点だというのは、こういう文脈からです。
新自由主義、日米軍事同盟の危機を感じたアメリカ・財界の巻き返しで、新自由主義第3期が始まりました。菅政権が転換点でした。3.11が新自由主義と大企業本位の政治の害悪を示していたにもかかわらず、菅政権は逆にそれを機に新自由主義回帰を加速しました。そして、野田政権で第3期、新自由主義の再稼働期が確立したといえます。

 第1期から第2期への移行が運動の力で起こったとすれば、民主党政権の新自由主義回帰・変節は、どうして起こったのでしょうか。
私は、この変節には3つの原因があると考えています。1つはいうまでもなく、民主党政権に加えられた支配層の強大な圧力です。第2は、その圧力を跳ね返し、民主党政権の変節に左から圧力をかけてそれを許さない運動の力不足です。とくに、共産党などの議席が、ほかでもなく、新自由主義改革の遂行をもくろんで実行された「政治改革」の結果、あまりにも小さく押し込まれ、有効な規制力とならなかったことです。第3は、民主党政権が新自由主義の弊害には何とか手当をしようとしながら、それらを実現するためには不可欠の、福祉国家型対抗構想をもちえなかったことです。普天間基地の国外移転のためには日米同盟の見直しが不可欠であるにもかかわらず、そこには手をふれませんでしたし、鳩山マニフェストは、ただのひと言も「大企業」規制・負担にふれずじまいでした。新自由主義に終止符をうつには、新自由主義に対抗する福祉国家型の構想をもった政治勢力を基礎にした政権を樹立することが不可欠です。

 さて、私たちがいま立ち向かおうとしている新自由主義第3期は、第1期とは異なる特徴ももっています。第1に、第3期は新自由主義の矛盾・弊害を国民が体験し、その是正の政治を体験したあとの新自由主義再稼働であるだけに、新たな手口やイデオロギーをもっていることです。第1期と違い、社会保障をただひたすら切り捨てることは難しくなり、一定の財政出動もせざるをえないだけに、その財源として消費税引き上げが重視されるのはその例です。民主党にも自民党にも愛想をつかせた国民に向け、橋下「維新の会」が登場しているのも、新たな手口のひとつです。第2に、それを遂行する政治体制は、第1期よりはるかに安定性を欠かざるをえないことです。第1期の新自由主義遂行体制が保守二大政党制であったのに対し、第3期は、大連立体制であることがその例です。第3に、第3期には、かつて企業主義国家時代に、保守の強い支持基盤であった地域保守層も、反新自由主義、福祉国家型地域と社会をめざす連合の担い手となりうるし、現になっている点です。先に述べた「九条の会」、反TPPへの農協や医師会などの参加、福島などでの原発損害賠償請求や原発ゼロ運動への地域保守層の参加はその例です。
新自由主義第3期は始まったばかりです。この第3期が長引けば、それだけ国民各層の困難と苦痛は耐えがたくなります。運動の責務は、新自由主義政治に代わる新たな福祉国家の構想をかかげ、反新自由主義の国民連合を結成して、できる限り短期に第3期を終わらせ、新自由主義サイクルに終止符をうつことです。

クレスコ編集委員会・全日本教職員組合編集
月刊『クレスコ』9月号より転載(大月書店発行)

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