社会保障と税の一体改革を読み解く その5 社会保障にも新たな削減のメス
野田内閣は、「社会保障と税の一体改革」の実現に邁進しています。政府は、菅内閣でつくられた一体改革「成案」を補強修正して1月6日に「素案」を発表しましたが、2月13日には、「素案」をほぼそのまま「大綱」にして閣議決定したうえで、3月下旬には、一体改革法案を通常国会に提出し、強行をはかると公言しています。
野田一体改革「素案」の第1の特徴は、消費税引き上げの口実を、“日本は今や超高齢化社会=「肩車社会」になり、高齢者を現役世代では支えられない、高齢者の給付を減らし負担を重くさせなければ社会保障は持続できない”という1点に絞って、消費税引き上げを国民に呑ませようとしていることです。この議論のまやかしについては前回論じましたが、マスコミが連日この種のキャンペーンを張っていることはご承知のとおりです。
一体改革「素案」の第2の特徴は、社会保障についても、その圧縮のための新たな仕組みを打ち出していることです。
民主党政権の推進する一体改革が、自民党政権時代の福田内閣期にそれが提起されたときにもっていた、“社会保障の「機能強化」をはかる代わりに消費税引き上げを”、という「一体」から、“社会保障の持続可能性のためには、社会保障費の伸び率の抑制と消費税増税が両方必要だ”という「一体改革」に変質したという点は、前々回に検討しました。「成案」「素案」で示された社会保障構造改革の性格も、この特徴をいっそう明確にしています。その新たな仕組みをひとことで言えば、社会保障に関する国の責任を外すことによって、社会保障需要の増大にともなう公費の増加を抑制しようというものです。これが「素案」全体を貫く基調となっています。
公的責任を回避するため、菅内閣の出した一体改革「成案」は、社会保障概念の新自由主義的改変をはかりました。そこでは、社会保障は「自助」を基本とし、生活や健康リスクを国民間で分散する「共助」で補完し、それでも対応できない一部国民に対してのみ「公助」をおこなうとし、公の責任を小さく限定したのです。つまり、社会保障の中心は「自助」と「共助」が「基本」だというのです。しかも、日本の社会保障で重要な役割を担っている、医療・年金・介護などの社会保険は、「公助」でなく「共助」だと言いきっているのです。
ここには社会保障についての二重の歪曲があります。1つは、これが憲法25条の保障している社会保障を矮小化しているという点です。社会保障とは、資本主義生産が、疾病・傷害・失業や貧困といった、「自助」でも「共助」でも回復できない深刻な困難を生みだしたことに対し、企業の負担や公的責任によって人間らしい生活を保障すること、つまり「公助」にほかなりません。それなのに、「自助」「共助」を持ち出すのは、企業や国・自治体の責任を回避して、その負担を軽減しようという意図からにほかなりません。
2つめの歪曲は、「成案」が、社会保険を「共助」に入れていることです。たしかに、医療保険など社会保険は、歴史的には労働者の共済保険などの「共助」を1つの起源にしていますが、それが「社会」保険として社会保障の柱となったのは、たんなる「国民全体の助け合い」ではなく、該当する国民に加入を強制し、企業の負担と国や自治体の責任で制度を運営する公的な仕組みとしたからです。それをわざわざ、社会保険は「共助」だと言うのは、歴史の逆行であり、医療や介護、年金への企業や国の責任を縮小しようという意図にほかなりません。
さらに注目すべきことは、「国民みんなの負担」という理屈を前面に出すことで、社会保障は消費税で担うのがふさわしいという口実にしていることです。一体改革「成案」が強調し、「素案」も打ち出している、消費税の社会保障目的税化も、同様の理屈で、社会保障を消費税で担わせようというねらいから出されているのです。
一体改革における国や自治体の責任回避は、各論でも貫徹しています。一体改革の「現役世代重視」策の目玉となっている「子ども・子育て新システム」は、その典型例です。くわしいことは別に勉強していただくことにして、結論だけを見てみましょう。
「新システム」は、保育を充実し、幼保一体化で待機児童を解消するなどと言っていますが、とんでもありません。「新システム」の最大の問題点は、保育についての国の責任、市町村の保育実施義務をなくして、保育を総施設(幼保一体施設)と保護者の直接契約に任せてしまい、市町村の役割は、保育にかかる費用の何割かを補助するだけにしてしまうという点にあります。
市町村は、保育に「欠ける」子どもたちを「保育所において保育」させる義務がなくなりますから、保育しなければならないのに放置されている「待機児童」などなくなってしまうのです。そして、国や市町村は、総合施設に多様な事業者・民間業者が入りやすくなるよう、指定基準も、保育所についての施設整備基準も緩めます。あとは保護者のみなさんが勝手に保育所は見つけてくださいね、保育料の一部は面倒見ますが、足りなければ自分で費用は足してくださいね、というわけです。保育所への事業者の参入を促すには、大幅な規制緩和がすすめられる一方、保育の水準、保育士の労働条件のさらなる悪化が進行することも間違いありません。
また、「素案」には、「成案」でも言っていなかったことを付け加えています。1つは、消費税引き上げのため、「自ら身を切る改革」が必要だという口実で、衆議院議員比例定数80削減や公務員の削減を謳っていることです。これを機会に、共産党や社民党など、構造改革に反対する政党を議会から消してしまえというわけです。
また、第2に、「肩車社会」でおカネがない、財政破綻だと国民を脅しながら、何と大企業の法人税は「4.5%」引き下げることを明記し、「その後も引き続き」引き下げることを約束していることです。第3に、その代わり、消費税の10%への引き上げはあくまで当面のことで、今後も5年ごとに見直して継続的に上げていくことを法案の附則に明記するとまで言っています。
こう見てくると、一体改革が、国民の不満や運動の力で政権交代が実現し、いったんはスピードを緩めた「構造改革」を再稼働させる焦点として出てきていることが明らかです。なんとしてもこの策動をSTOPさせ、その力で、もう一度政治を構造改革の路線から転換させる第1歩にする必要があります。
次回からは、大阪「橋下改革」問題を検討しましょう。
クレスコ編集委員会・全日本教職員組合編集
月刊『クレスコ』4月号より転載(大月書店発行)