社会保障と税の一体改革を読み解く その3 「一体改革」の変質
連載は“生き物”です。「社会保障と税の一体改革」の検討が3回目に入ったところで、2012年前半期における保守支配層と国民との攻防の最大の焦点が、消費税率引き上げを柱とする「一体改革」法案の成否であることが確実となりました。
マスコミは、2011年の年末から連日、「一体改革」をめぐる民主党内の攻防を追いかけ、ついに12月29日、野田首相が、民主党税制調査会と一体改革調査会の合同総会で、2014年4月に8%、15年10月には10%への消費税率の引き上げをするとして押し切ったと、大々的に報じました。
今月号が刊行されるころに通常国会が始まりますが、この連載で得た視角でマスコミの報道を検討し、消費増税を阻むための行動を起こしていただきたいと思います。
前回までに述べてきたことを、簡単にふりかえってみましょう。
「一体改革」は、構造改革の矛盾が顕在化した福田政権で提起された政策であり、そこには、小泉政権時代の社会保障費削減への一定の反省があったこと。しかし一方で、大企業負担の軽減をはかる構造改革を止めるわけにはいかないので、社会保障支出増の財源として、消費税率大幅引き上げを提起するということ。つまり、「一体」とは、「社会保障は一定充実するから、消費税率の引き上げもする」という意味でした。
しかし、この「一体改革」は、自公政権の崩壊とともにいったん消えます。自公政権に代わって誕生した鳩山政権は、福祉支出の増大と消費税率引き上げ凍結を訴えて国民の支持を得たのですが、菅政権はそれをふたたび拾いあげました。そのねらいは何か? ということが今回の主題です。
鳩山政権は、「この政権では構造改革も日米同盟もどうなるかわからない」という危機感を強めた財界・アメリカの圧力によって倒されました。代わって登場した菅政権の立ち上がりは素早かった。大企業の法人税率を当面5%引き下げ、2年以内に20%台にすると公約し、その財源として消費税率引き上げを打ち出したのです。口実は、「財政再建」でした。ところがこの方針は、10年7月の参院選であっけなく国民に「ノー」と言われます。しかし、財界の後押しによって菅政権は存続しました。財界としては、「消費税率引き上げはマニフェスト違反」と言う小沢一郎を政権の座につけることは許せなかったからです。
生きのびた菅政権がふたたび消費税率引き上げをうたう口実に選んだのが、「一体改革」でした。この段階で、「一体改革」は最初の変質を遂げます。「社会保障を何とかしなければならない」という当初の積極面が後退し、社会保障はたんなる消費税率引き上げの口実・・と化したからです。
福田政権時の「社会保障国民会議」や、麻生政権の「安心社会実現会議」が、まだ社会保障の充実を主題に議論をしていたのに比べ、菅政権の「社会保障改革に関する集中検討会議」は、その名前とは裏腹に、社会保障については、宮本太郎氏(北海道大学)を座長とする「社会保障改革に関する有識者検討会」に丸投げし、本体はもっぱら消費税率引き上げを議論し始めました。菅氏の頭には、消費税率引き上げしかなかったのです。
そこに3. 11が起こり、「一体改革」はさらなる変質を遂げます。3. 11以降、その復旧・復興、原発被害に対する避難、放射能汚染の瓦礫処理などで、膨大な財政支出が見込まれました。ところが、これを大企業負担でまかなうことはまかりならんという財界の強い圧力に菅政権は従ったのです。そこで、一方では被害の復旧・復興に不可欠の国家財政支出を抑制し続けて復旧・復興に甚大な打撃を与え、他方、その財源を国民負担に転嫁する方策が検討されました。
その結果、「一体改革」の第2段階の変質が不可避となったのです。
1つは、3. 11の復旧・復興の財政支出増が不可避となり、大企業に負担させないとなれば、3.11前に比していっそう国民負担圧力・歳出削減圧力が強まったことです。となると、もはや社会保障の充実などとは言っていられません。社会保障費も削減し、加えて消費税率引き上げをしなければならない、ということになりました。
もう1つは、「一体改革」を主導してきた厚労省サイドの思惑です。福田政権の「一体改革」登場のとき、厚労省はそれなりに意気揚がったと思います。小泉構造改革の時代に、毎年2200億円の社会保障費が削減されたことに見られるように、社会保障の充実どころか、増経費の削減のために「努力」を強いられてきたわけですから、それがおさまり、充実・「機能強化」となれば希望が出るからです。
他方、財務省も、消費税率引き上げの唯一の説得理由は社会保障しかないという思惑だったため、両者が合意します。
このように、菅政権が「一体改革」を打ち出した当初は、厚労省と財務省がペアですすめ、消費税率引き上げ5%ぶんも基本的には全部社会保障に充当するという合意もありました。
ところが、3. 11後になると、財源問題がさらに厳しくなり、放っておくと5%の独占も難しくなったわけです。ここで厚労省も、社会保障費の充実という口実をかなぐり捨て、「社会保障費は身を切る努力をするから、5%はそっくり社会保障費に充当しろ」という論陣をはることを余儀なくされたのです。
いずれの経路からも、「一体改革」の根本的変質が促されました。今や「一体」とは、「社会保障費の・・・・・・削減と消費税率引き上げ・・・・・・・・・・・」という意味に転換してしまい、「一体改革」が当初もっていた社会保障の充実は、跡形もなく消え去ってしまったのです。
「一体改革」成案の最大の眼目が、消費税の引き上げ率と時期を明記する点にあったことは言うまでもありません。また、その点に、民主党内の小沢派を中心とする反対派の攻撃も集中していました。彼らは構造改革に反対しているわけではありませんが、彼らのほうが、2009年になぜ国民が民主党を支持したかを自覚しており、その裏切りがどんな結果をもたらすかに恐怖しているからです。
菅政権は、その攻勢の前に、税率・時期ともに譲歩を強いられそうになりましたが、財界とマスコミの猛攻を受けて、なんとか税率は10%を明記し、時期も「2010年代半ばまでに」と入れることに成功しました。しかし菅政権の体力もここまででした。閣内の反対の声を考慮したために成案の閣議決定はできず、7月1日、閣議報告にとどまりました。
では、菅政権のあと、野田政権は「一体改革」をどのようにすすめようとしているのでしょうか。山場は次回に検討しましょう。
クレスコ編集委員会・全日本教職員組合編集
月刊『クレスコ』2月号より転載(大月書店発行)