環境問題を考える112/ノーモア・フクシマ  PDF

環境問題を考える112

ノーモア・フクシマ

 東日本大震災による福島第一原発の崩壊とその後のメルトダウンを含む大事故の発生から、1年を迎えようとしている。無残な姿をさらしながら放射性物質を垂れ流し続けている福島第一原発の廃炉と事故の安定終結には、いまだ見通しも立たず、50〜100年の年月と、1兆円を遙かに上回る費用が予想されている。

 チェルノブイリを遙かに超える大事故により、まき散らされた大量の放射性物質は、東日本を中心に大気を土壌を、水を、海を、日本列島全体を、地球全体を汚染し続けている。(Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of Americaにはその詳細が報告されており、インターネットからも入手できる)世界中の人々が、原発爆発にはじまるこの収拾困難な大事故を地球規模の核汚染の重大な危機として注目している。

 無数に生じたホットスポットなど汚染状況の十分な掌握すらできていないなかで、福島を中心に放射能除染作業が続けられている。つらく悔しいことだが、それは、まるで賽の河原の石を積み上げるような、先の見えない作業に思えてくる。「さしあたりの危険性はない」と聞き飽きるほど繰り返し発表されてきた政府の声明にもかかわらず、とりわけ福島の人々のおかれている状況は、実に深刻である。セシウムなどをはじめ、放射性物資は食物連鎖の上位の生物に最終的に蓄積される傾向にある。それは、人間の体にたまっていく、260年後には、今の子どもたちを中心に、甲状腺をはじめとした種々のがんや白血病による多数の犠牲者が生み出されてくる可能性が危惧される。

 原発のもとをなす原子爆弾は、アインシュタインが特殊相対理論から発見した、エネルギーと質量は等価である(E=mc2)という数式を、ドイツ人女性研究者のマイトナーらが、実験的に得られたウランの原子核の分裂反応の結果を当てはめて掴んだ、巨大な原子力(核分裂)エネルギーの軍事利用の結果として生み出された。世界各国は第二次大戦中の最中、競って新たな核エネルギーの軍事的活用を目指していた。1回の核分裂から放出されるエネルギーが2億電子ボルト、そして1回の化学反応から放出されるエネルギーはたったの5電子ボルトであり、核エネルギーの方が、化学エネルギーよりも約1億倍、8桁も大きく、桁外れの大きさになることがわかったからだ。

 アメリカでの、多数の亡命核物理学者をはじめ、総力を動員したマンハッタン計画による1945年7月16日のニューメキシコでのトリニティーの核分裂実験の成功後、8月に広島、長崎に原爆として投下されたのである。

 当時、日本やドイツも米英に競って原爆開発に精力を注いでいた。理研の仁科研究室や、京大の荒垣研究室も、湯川秀樹博士や武谷三男氏もその開発研究に動員されていたことが明らかになっている。

 戦後の、アメリカを軸とした商業的原発の拡大と同盟国への供与と戦後中曽根と正力による原発の導入は、当初の米ソ冷戦下の崩壊後も、基本的には、原子炉の運転により生み出されるプルトニウムによる核武装可能性を担保とした軍事政策の一環であったといえる。

 軍事利用と裏腹の原発の導入は、バラ色の「平和利用」の宣伝は、ノーベル賞学者湯川博士をはじめ、多くの人々を総動員し、マスメディアを総動員した、核エネルギー時代の賛美の場となった。エネルギーと引き替えに生み出される核廃棄物は、処理するすべも、安全に処理する方策も場もなく積み残されてきた。原発の運転を維持するために数知れぬ労働者が放射線に曝され、その命を奪われていった。

 被爆の惨禍は覆い隠され、子どもたちが広島の悲劇から侵略戦争の過ちと核兵器の悲惨を直に学ぶまたとない機会である、広島への修学旅行ですら、「偏向」教育であるとして、行き先を変更させる指導すら行われ、原発見学が推奨されてきた。そして、産軍学総動員体制下に、国策として、札束と利権で人々の心を買収し、自然を破壊し尽くして原発開発がすすめられてきたのである。

 放射線被曝によって生み出される人体・その根幹をなすDNAの損傷とその結果生じてくる健康破壊に対して、医学はそれを修復する何の力も持っていないのである。NO MORE FUKUSHIMAは、今や圧倒的国民の声である。巨大な自然災害を契機に露呈した、原発に依存した危うい生き方をみんなの力で根底的に転換すべき時である。3月11日を前に、原発再稼働の動きを許さない、人々の大きな強い連帯を作り出していきたいと思う。

(環境対策委員・島津恒敏)

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