環境問題を考える(105)
窒素汚染…生物多様性の消失の一因
昨年のノーベル化学賞に、お二人の日本人化学者が輝きました。門外漢には理解困難ですが、その業績は医薬品関係・家電関係など一般市民の日常生活にも広範に応用・利用されているそうです。
では、歴史上最も地球上の生物や環境に影響を与えた、有機化学上の事柄は何でしょうか? 諸説はありますが、私は下記の理由より、空気中の窒素固定法の発見だと思うのです。窒素は地球大気の8割近くを占める最もありふれた元素であり、地球上の生物にとって欠くことのできない物質です。しかし、大気中の窒素は、自然界においては単一生物では、利用可能な形での体内への取り込みは不可能であり、植物と共生するある種の微生物(根粒菌など)によってのみ、利用可能な窒素化合物になるのです。植物は微生物に助けられ、土壌より窒素を吸収しては枯れて大地へ戻る。そして、草食動物はこれらの植物を食することにより、肉食動物は草食動物を捕食することにより窒素を利用しています。こうして窒素は生物種の間を無理なく緩やかに循環していたのです。
しかし、近代化学工業の発展は、20世紀初頭に大気中の窒素を固定することに成功してしまいました(1908年F・ハーバー鉄を触媒として窒素と水素よりアンモニアを合成=1918ノーベル化学賞受賞)。これにより農業用化学肥料の大量生産ができるようになり、その結果、大量の食糧生産が可能となりました。でも、これは火薬の生産にも応用され、第一次世界大戦において多数の人的犠牲の原因にもなりました(ハーバーは熱烈な愛国者であり、ドイツ軍による化学戦(毒ガス生産)の中心人物であり、同じ化学者であった妻が抗議自殺したことでも知られています。でも後年にはナチスのユダヤ人追放にあってスイスで客死しています。きっとヒューマニズムに基づかない独善的な愛国心は報われないものなのでしょう…)。
その後の世界人口の増加は、この発見(窒素固定=農業革命)なしには決して有り得ませんでした。この発見なくば食料をめぐっての戦争が、必要悪として既に勃発していたことでしょう。一人の化学者の発見は数十万以上の命を奪うも、数十億人の命の糧になったのです。
さて、増産第一目的の化学肥料大量使用や、化石燃料の消費などの人間活動が続いたことにより、現在では大量の固定窒素(窒素化合物)や燐などが環境中に蓄積されてしまいました。これらは河川・湖沼・海などに流出し、富栄養化を来たし、プランクトンの大発生を促し(赤潮・青潮など)、さらに底層の貧酸素化の原因となります。それは、健全な生態系を攪乱し、結果プランクトンと微生物しか住めないような、生物多様性の極めて低い領域(異様な生態系)を造ってしまいます。おそらくこの異様な生態系を示す領域は、今後ますます拡大していくことでしょう。生物多様性の消失は生物種を絶滅に導くのです!
また、農地に残留する窒素化合物は土壌の酸性化を促すとともに、土壌中の細菌により亜酸化窒素を大気中に放出します。亜酸化窒素は近年、温室効果ガスとして注目され、活性酸素と反応することよりオゾン層の破壊や、酸性雨被害にも一役買っているようです。
施肥による窒素化合物の環境中への放出は、化石燃料の消費のそれの数倍にも及ぶそうです。現在人類が摂取するタンパク質中の窒素の3分の1は合成肥料に由来するとまで言われています。近年の世界総人口の急増は、当然食糧増産を必要とします。そのための化学肥料の大量使用により、更に窒素を環境中にばら撒く悪循環となっているのです(別表)。
表 人為活動による反応性窒素の生産量
今のところ窒素汚染は、二酸化炭素による温暖化やエネルギー問題程には、マスコミがはやし立てる話題にはなっていませんが、今後は大問題になるに違いありません。
ひょっとすると大気中よりの窒素固定は、パンドラの箱だったのかも知れません。箱の底より希望の虫が這い出てくれることを望むばかりです。(環境対策委員会委員長・武田信英)