満洲生まれのつぶやき その2/生れ故郷大連を訪ねて

満洲生まれのつぶやき その2/生れ故郷大連を訪ねて

木村敏之(宇治久世)

 旧満洲から引揚げて以来、一度訪れてみたいと思っていた大連の街、2009年春に予定をしていたところ、新型インフルエンザの流行にて中止となり、8月に思い切って2泊3日の大連・旅順旅行を敢行した。

 関西空港から昼12時ごろに飛び立っても2時半頃には大連空港に到着していた。日本国内を旅行するのと同じ感覚だが、入国時の審査には感染症に対する念入りなチェックがあり戸惑った。

 中国にはおよそ10年前に長江の三峡ダム建設当時、クルージングによる長江下りで経験しているので、市場経済下での変貌には多少予備知識もあったのだが、今回、大連(DALIAN)の街が人口600万の巨大都市に変貌した姿から、この10年間の経済発展の凄さを知った。はたして旧満洲国時代の建物などは残っているのだろうかと不安がよぎったのも事実である。

大連市街〜大連港

 現地の中国人女性添乗員の案内で家内と二人のミニツアーが始まった。入国当日、車で先ず旧日本橋(現勝利橋)からロシア人街へ案内されたが、大連は日清戦争以前ロシアに統治され、数々の高級住宅が記念博物館など、今は観光資源となって、みやげ物売り場は大勢の中国人観光客であふれていた。一人っ子政策にもかかわらずあちこちに小学校が真新しく建てられ、その壁には「百年の計は教育にあり」とスローガンがかけられているのを見ると、いまや昔の日本の姿(追いつけ追い越せ)とかぶさってくる。

 大連市街へ戻り、旧満鉄本社の見学に向かう。しばらく前までは日本人は見学できなかったとされる総裁室も見て、時の総裁が座していた机と椅子にも手で触れることができ、その当時の力と歴史を実感した。博物館となった大きな集会室は昔、ロシア正教の教会とのことで建物は大変しっかりしており、現中国政府も捨てがたいのであろう。また満鉄事業団の行ってきた数々の分野での事業は現在の中国事業にもつながっているようだ。

 次は旧大和ホテル(DALIAN HOTEL)に立ち寄ったが、今も三ツ星ホテルとして使われているのには驚いた。

 旧日本軍が使用していた大連港には当時の3つの埠頭が今も活躍しており、真珠の養殖など公団が事業を行い、いずれ第4埠頭を完成させるとのこと、神戸港も危うし。市内は主に火力発電で空は灰色がかかるのであるが、南の地域ではハイテク産業が主で空も青かった。翌日ホテルの窓から見た朝日を浴びたビル群が美しい眺めであったのは忘れられない(写真)

ホテルの窓からの眺め(朝日に輝く)
ホテルの窓からの眺め(朝日に輝く)

旧日本人街〜203高地

 今回の最大の旅行目的である私の生れた育った旧日本人街を案内してもらったが、ついに当時の官舎は分からず、既に壊され昔をしのぶ洋風のエントツのあるレンガ造りの建物が色鮮やかに美しく並んだ高級住宅街(旧日本人街)となっていた。その後、旧満鉄大連病院を訪れたが、今は大連医大付属中山医院となり中へは入れなかったのは残念。

 午後からは、車で旅順へ向かい、1時間ほどで旅順口の日ソ戦争遺跡に到着した。ロシア軍が立てこもった塹壕、ニレイサン(203)爾霊山、そして乃木保典(乃木大将の次男)の死亡した場所にある石碑など(写真)、今年は大河ドラマでも取り上げられる日露戦争の名残り、山頂の28インチ巨大砲などを見学できたが、観光地化した今は中国人にはどう映っているのだろうか。日露戦争終焉を決めた有名な水師営には古びた小屋がいまだに(と言っても建直しているらしいが)あり、中には当時の机が置かれていた。外にはステッセル将軍の白馬を繋いでいた馬小屋のあとがあり、ここも大勢の中国人観光客で賑わい、中国の歴史を勉強していたと思われた。当時ロシア軍が2万人とも言われた中国人を要塞建設に狩り出したと知ったら気持ちも複雑であろう。

(右)203高地山頂の爾霊山慰霊碑、(左)日露戦争で戦死した乃木大将の次男の碑
(右)203高地山頂の爾霊山慰霊碑、
(左)日露戦争で戦死した乃木大将の次男の碑

アジア号〜中山広場

 最後に、これも旅の目的の一つであるアジア号(パシナ)に会うため、特に頼んでもらい、博物館となっている格納庫をあけてもらった。当時大連から北浦方面へ移動する時に乗っているはずだが全く覚えがなく、しかし何か懐かしく思われた(写真)

アジア号の前にて
アジア号の前にて

 最終日には中山広場(中山とはチュンサン孫文のこと)に向かった。周りにはロシア時代の建物から日本が占領していた時代の建物まで10ほど残っているが、ここは特に有名で、ロータリーとなった道路を中国式結婚式を終えた新婚さんが乗ったオープンカーが廻っているのを見ると、新しい中国を見た思いである。

 2泊3日の短い旅行ではあったが、内容の濃い、楽しい旅をさせてもらえたことに感謝。帰国の翌日(8月30日)には日本にも新しい時代の幕開けが起こり、驚かされたのでありました。

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